法話・感話

唯我独尊(ゆいがどくそん) ~本当の意味は~

モクレン (モクレンモクレン属に属する落葉低木の一種)

 

唯我独尊(ゆいがどくそん) ~本当の意味は~

 

私たちはいつも「六道」地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上といった六つの迷いの世界を生きています。お釈迦さまが誕生後すぐに七歩あゆまれたということは、その世界から一歩出られたということを意味します。

 

そして、「天上天下唯我独尊」とは、“私たち一人ひとりが他の誰とも代わることのできないものとして誕生し、尊い命を生きているのだ”ということを伝え下さったお釈迦さまからの大切なメッセージなのです。世間的には唯我独尊の誤った使い方や、理解をされていることもよく見受けられますので気を付けたいものです。

日々刻々

世の中は、日々刻々と移り変わっていきます。とにかく早いですね。同じとき、同じ事柄など何一つありません。諸行無常の世界といわれる所以です。

 

仏教ではものごとは全て縁によって起こり、縁によって滅していくのだと教えます。今此処に、縁によって成り立っている私も、私の心も瞬時に変化し続けているのです。

 

しかし、その変化し続ける縁を、そのまま事実と受け取ることほど難しいことはありません。人は煩悩を具足するがゆえに、意に添わなければ、怒り・腹立ち・嫉み・妬むという我が心の絵具で描いた地図の中で迷い続けるのです。そして結果は、他を傷つけ、時には我が身も傷つけ、帰り道を見失ってしまうのでしょう。

 

そんな私に如来は、彼岸の浄土を帰る場所と教え、念仏の一道を帰り道と与えてくださるのです。

出典参考:「いのちのことばⅡ」

 

 

お寺の鐘

もともとお寺の鐘は、法要の集会の合図として撞かれるとともに、時を知らせるためでもありました。時計が無かった時代に、時刻を知る一つの手段でもあったのです。特に夜明けと日没を知らせてくれるものとして、撞く時刻は夜明けと夕暮れ頃だったようです。畑仕事をしている人々が多かった時代には、欠かせない知らせだったのでしょう。現在の時刻ではおよそ朝夕六時頃となります。

 

真宗本廟(東本願寺)では朝のお勤め(晨朝)の合図として十一回撞かれています。また、報恩講ではお勤めの始まる一時間前にも撞かれます。参詣の皆さんにもうすぐお勤めが始まりますよとの声かけだった訳です。

 

大きさは様々ですが、「梵鐘」と呼ばれる大きなものは、境内にある鐘楼堂や鐘楼門に吊下げ、撞木という木製の太い棒で撞き鳴らします。

 

私たちの願立寺には梵鐘はありませんが境内の角に太鼓楼があって、大きな太鼓がその代わりをしております。秋の報恩講や春の永代経法要のお勤めの一時間前に、五つ・打上打ち下げ・三つのリズムで太鼓を打ちます。皆さんが着席された頃、勤行五分前に「喚鐘」を同じく五三のリズムで撞きます。喚鐘は梵鐘と比べると小ぶりな鐘ですが法要行事の始まり等を知らせる大切な鐘です。

 

梵鐘のないお寺もあります。それは第二次世界大戦時に出された「金属類回収令」の影響がありました。当時、軍需生産原料として必要な金属を集めるため、お寺の鐘や仏具をはじめ、家庭の鍋や釜にいたるまで供出されたと聞きます。また、昨今住宅密集地では大晦日の梵鐘の音も騒音とされ、苦情により昼に撞かれている所もあるようです。現代社会の生活事情が表れているようです。なんともはや。

※出典参考「仏教・仏事のはてな?」東本願寺

 

 

なんで宿題せなあかんの
2022.9.9|法話・感話

ルリマツリ(イソマツ科) 初夏〜秋まで長く爽やかなブルーの花を付ける

 

◎なんで宿題せなあかんの

ずいぶん昔の事になりますが、小学校にいたころ、教室での子ども達の何気ない言葉が今になって心に残っています。

 

夏休み前になると子ども達にどっさりと夏休みの宿題を用意しました。今では形式的な宿題など少なめにして「もっと自由に遊ばせ、自ら考える・・夏休みに」という時流になってきているようです。当時は保護者の方からも休みが長いと気が緩んで遊んでしまうので「先生いっぱい頼みますよ!」という声にも応えたものです。

定番の夏休みの友、漢字や計算ドリル、絵日記、読書感想文、絵画、自由研究、ラジオ体操頑張りカード・・等々、こちらも忘れてしまう程、「あれしましょう、これしなさい」と言っていたものです。

 

その時ある子が「先生、なんで宿題せなあかんの?どうせみな死ぬんやろ!」と言ったのです。子どもの言葉でしたから、どれ程の気持ちを持っての言葉では無いのは分かっていたのですが、一瞬その言葉には「ドキッ!」としたものです。

その場はとっさに「そんなん言うんやったら今日の給食、どうせ死ぬんやから、無しにしょうか?」子どもは当然「そんなん、あかん、いやや!」と、「ほな宿題もせなあかんやろ」

「宿題も給食も身につくんやから同じやで」とかなんとか誤魔化してその場を収めたことがありました。今思えばお笑いですが。でも考えてみれば、10才にも満たない子に私自身の「人生観」「生死観」を問われたのは間違いありません。

 

「いつか死んで行くのに、なんで生きる」いわば「生きること」の意味です。

「めんどくさい、そんなややこしいこと考えてたら生きていかれん 仕事仕事!金儲けせんと」と、これもまた誤魔化して、忙しい忙しいと肝心なことに目を瞑って生きてきたのかもしれません。

 

あれから40年、こちらも良い歳になってみると、その子の問いかけが心の底の方に取り残されていたのです。「いつか死んで行く命を、なぜ今生きるのか」です。

頭でいくら考えても答えの出ないこの大きなテーマに、お釈迦様は「人は死ぬからこそ、よく生きよ」と応えられたのです。

 

確かに、死があるからこそ生まれた意義や、生きる喜びがあるのだと。もしも死ぬことのない永遠の命があるとすれば、かえって生きる喜びは見出せないのかもしれません。迷いがあるから、覚るということがある。悩みがあるから良く生きたいとも思う。病気をしてやっと健康のありがたさに気づくのもそうです。

来年の3月に退職すると決めた最後の1年は、今までの通年の一年と全然違いました。子どもに渡す一枚の連絡プリント、運動会の行事案内も「来年は無いんやな」と思いを込めたものでした。

 

親鸞さんのお書きになった教行信証の初めの言葉に「悪を転じて徳となす」とありますが、そこには「悪を滅して」捨てたり目を瞑るのではない、悪のままに「悪を転じて」との前向きな意味のある受け止めがそこにあるのだと思います。

盂蘭盆会・戦没者追弔会2022

夏草茂る大和川堤防から二上、葛城、金剛の山並みを望む(夕刻)

 

 

8月15日正午

盂蘭盆会&戦没者追弔会のお勤めをしました。

身内に戦没者がおられ、毎年のようにお越しになる方や、この度初めてお参りになった方もおられました。内陣にお預かりしている遺影を安置しました。

 

始めにNHKの全国戦没者追悼式の中継番組を視聴し、総理の挨拶、正午に合わせて1分間の黙祷、天皇陛下からの御言葉をいただき、堂内の皆さん一同、東京の国技館とテレビリモート参加のかたちをとりました。喚鐘を区切に正信偈のお勤めをし、住職から前住職から聞き伝えた戦前戦後のお話しをしました。

 

境内の築山は簡易防空壕跡、父が掘ったら日露戦争従軍経験のある祖父は、「壕は入口で曲げて出口も作るものだ」と言ったとか。その周りはさつまいもの畑、焼け出された市内の人が食べ物に困り着物と交換してくれとこられたらしい。等々

 

既に直接戦争体験を聞ける方が少なくなり、私たちが語り継ぐ時代と感じます。

 

今日は不戦の誓いをする日

兵戈無用

 

境内にアライグマ
2022.6.22|法話・感話

動きもどんくさい、子どものアライグマ

 

 

ここ、河内の太田でもカラスやイタチ、先日はアライグマが境内を歩いているのを見つけ驚きました。二匹の子どものアライグマで写真に撮るとあどけない可愛い表情を見せていました。ところがご門徒さんへのお参りの時この話をしますと、「うちでは飼っていた鯉や金魚が食べられ、丹精を込めて作ったイモや野菜など農作物を荒されてホトホト困ってます」とのことでした。残念ながら可愛い、子アライグマもアットいう間に成獣になって人の生活に大きな被害を与えるということで、私達の世界では「害獣」扱いとなってしまうのです。

 

聞けば困っておられたお宅は市役所に相談されて、捕獲ケージを置いたところ、たった二日で雄の大きなアライグマが掛かって連れていかれたとの事。場所やタイミングを考えるとどう見ても、私の見た二匹の子アライグマの父親になるなと、複雑な心境になりました。

この状況では残念ながら、駆除も当然で、私もそうするしかありません。

 

 

まさに「ひょっこりはん!」

 

 

以前、北海道で鹿の乱獲から家畜を襲うようになったエゾオオカミに困り、退治したところ今度はオオカミの絶滅を引き起こし、天敵の居なくなった鹿の再増加で森林破壊が起こったことなど笑えない話を聞いたことがあります。よくよく考えて見れば、全ての命が実は共に支え合っているということを忘れた人間の浅知恵、身勝手さを思わずにはいられません。

 

共に支え合っていることを忘れて、人間の都合で嫌いなものは排除し、好むものは大事にする。また、可愛いかったものが状況が変わり邪魔になればアッと言う間に排除してしまう私たちです。よく考えてみなければなりません。全ての命は、人間の好き嫌いといった都合に関係なく、それぞれが一つの命として輝き、互いに支えあっているのです。何処にも無関係の命は無いのです。

永代経法要 法話
2022.4.8|法話・感話

太田第一公園のユキヤナギが満開

 

 

「私は正しい」。争いの根はここにある。

 

 これは、あるお寺の掲示板に記されていたお言葉です。自分のことを言われているようで、ドキッとしました。また、「なるほどその通りだ」と思いました。

 

 「私が正しい」と主張するとき、それは「あなたが間違っている」ということになります。そんなつもりはなく、私の意見を分かって欲しいのだと思いながら、相手を否定してしまう時があります。日常生活をしていく上で争いになれば、その争いの元になった事実の確認をする、記憶が間違っていないかお互いに確認するなど、「正しいこと」と「間違っていること」は確かにあるのでしょう。ですから、相手の人と「正しい」、いや「間違っている」と議論することは大切なことです。しかし、その議論が、相手の人を批判し否定し、時には断罪するためになっていることがよくあるように思います。

 

 親鸞聖人は「われもひとも、良し悪しということをのみもうしあえり(私も他の人もみんな、良し(=正しい)、悪し(=間違ってる)ということばかり言い合っている」と、自身も含めて嘆き悲しんでおられます。

 でも、大切なのは、目の前の人との人間関係ですよね。目の前の人に、自分が正しく相手が間違っているという関係は、争いを招き、傷つけ合う結果となってしまいます。私たちはよく間違えます。過去に「私が正しい」と言い張ったことでも、時間がたてば、「ああ、間違っていた」ということはよくあることです。「正しい」と自己主張し合う関係よりも、間違っていたことを相手の方から教えられ、お互いを認め合う関係が結べたら、と願います。

                                      (大橋恵真師、法話レジュメより)

ロシアのウクライナ侵攻に

枝垂れ梅が咲き始めました。

 

 

 

月参りでロシアの侵攻の話になりました。

 

奥さんは、「絶対戦争はあかんで!」と言っておられました。

「あかんあかん、絶対あかん」「戦争したら無茶クチャやで!」と。

 

太平洋戦争の末期、当時は和歌山におられて終戦を迎えられたそうです。

尋常小学校1年、それでも町の上空をたくさんのB29爆撃機が飛んできて

爆弾や焼夷弾を落としていくのをしっかり覚えておられました。ゴーーンという音、

銀色の大きな機体は忘れられないという。

 

遠くに和歌山城が見えたのですが、天守閣が爆撃を受けてガラガラと

燃えながら、崩れていくのが今でも目に焼き付いているとのこと。

 

お母さんが横の川に防空頭巾を浸けて、頭に被せてもらったことや

お米が無くていつもお腹が空いていて、顔が写るようなおかゆに

小さな芋を浸して食べていたことなど、昨日の話のように語っておられました。

 

 

テレビで戦火のウクライナの様子を見ているうちに、胸が痛くなって

テレビを切ってしまうそうです。

兵戈無用

 

 

兵戈無用(ひょうがむよう)

「兵」と「戈」は軍隊、武器を意味する言葉です。

釈尊は、人の住むこの世に戦争はいらないことを宣言されているのです。

浄土三部経のひとつ『大無量寿経』巻下に「仏の歩むところ、あらゆるところの、

あらゆる人々はみな、その教えの尊さを思わない者はいない。人々のこころは、

豊かに安らかであり、兵士や武器を全く必要としない世界である」と示されています。

 

『天下和順 日月清明 風雨以時 災厲不起 国豊民安 兵戈無用』

 

「兵戈無用」などというと、世の中そんな簡単なものではない。

エゴとエゴのぶつかり合い勝ったものの世界だ。平和ボケや理想論だと片付けられて

しまいそうですが、この世界こそ私たち念仏者のめざすべき世界であろうと思います。

 

親鸞聖人がお手紙の中で、「御念仏こころにいれて申して、世の中安穏なれ、仏法ひろまれ」

と述べられています。まさにこの「兵戈無用」の世界を願っての歩みが、念仏者の生活

そのものであるということを示されたお言葉でした。

 

 

いま、ロシアがウクライナを取り戻すためという一方的な戦争をおこして

戦闘機がミサイルを撃ち、戦車が古都キエフに迫っているという報道がありました。

この街は日本でいえば京都や奈良にあたる美しい都だそうです。

そこに爆音や硝煙、子どもたちの涙は相応しくありません。

紙芝居「願立寺の山門」⑥ 人々の受難と横暴
2022.2.13|法話・感話

 

◯落ち着いた江戸の世も移り変わり

 

山の噴火や、大きな地震がいく度もおそいました。

 

たくさん雨が降りつづき大水で家も畑もみんな流されたのです。

 

またあるときは、日照りが続いて作物が実らず、みんな枯れてしまって

多くの人が食べ物にこまったときもありました。

はやり病が続いてたくさんの人々が亡くなるもことも重なったのです。

 

そんなときも

少なくなったお米を、えらい人たちが独り占めして返してくれません。

困った人たちは、何度もなんども助けてほしい、助けてくださいと願い出たそうです。

 

 でも、ダメだった・・・

紙芝居「願立寺の山門」⑤ 権現さんから願立寺へ
2022.1.14|法話・感話

 

 

がんちゃん

 「えー! そんなところから運んできたの?」

 

  がんちゃんはとてもビックリ。

  だって、このお寺からお城近くの権現さんまで、

  とっても遠いからです。

 

  江戸の時代は、今から言えばいろんな問題もありましたが、

  長いあいだ落ちついた平和な世の中が続いたこともたしかです。

 

  みんな、このままいい世の中が続くと思っていました。

 

  ところが・・・

     そのうちに・・・

        えらいことが・・・

紙芝居「願立寺の山門」④ 大阪城と北極星
2021.12.20|法話・感話

 

 

 

ご院さん:「この山門はな、いつまでも変わらない

    平和な世の中が続くことへの願いをこめて

    「不動の星」あの北極星にちなんでお城の北側にたてられた、

    川崎東照宮という大きなお宮さんから持ってきたんじゃよ。

 

    いつもいつも真北に見えているあの星みたいに

     ひとつも変わらんのじゃよ」

 

    「そのお宮さんはニックネームもあってな

     みんなが、親しみをこめて

     権現(ごんげん)さん、権現さんって呼んでいたんじゃ」

« 前のページへ 次のページへ »