紅梅開花2024
2024.3.9|願立寺日記
今年も紅梅が咲き始めました。
★彼岸会
3月20日午後2時から
お誘い合わせてお参りください。
今年も紅梅が咲き始めました。
★彼岸会
3月20日午後2時から
お誘い合わせてお参りください。
3月9日11:00〜、串本の民間ロケット発射場から第一号のロケット「カイロス」が打ち上げられるようです。
条件が整えば大阪からも打ち上げの軌跡が見られそうですので是非挑戦してみてください。
地平まで快晴が最低条件、真南からほんの少し左の位置を画像のように上昇します。
以下、想定図です。
白い噴射の煙軌跡が肉眼でも見えると思われますが、双眼鏡があればよりハッキリとするでしょう。
■打ち上げ直前に日程延期になりました。ひとまず残念!(追記11:20)
◾️3/13に延期、11:01点火されましたが数秒後爆発炎上、打ち上げ失敗です。本当に残念‼️(追記3/13 11:15)難しいものですね。
画像出典:「ブログ・ロケッこがゆく」より
ルンビニ
釈尊涅槃の地クシナガラを巡拝したあと、私たちは釈尊の誕生地であるルンビニを訪れました。この聖地への旅は、シッダールタ太子がこの世に生を受けた処に触れることができる、まさに特別な体験でした。入場への長い通路には近くの林に住む、人馴れしたお猿さんが迎えてくれ餌をねだっていました。霧に包まれたルンビニ園は、世界から多くの巡礼者が参拝され、仏教的にも歴史的にも重要性を物語っている聖地となっていることを感じました。アショカ王の柱と碑文、古くから伝わる古代の遺跡を順に巡りながら、釈尊の教えの源に触れることができました。インド仏跡巡拝記を綴る上で、ルンビニへの旅は同行の皆さんに心に深い印象を残したようです。
ルンビニ園へ 通路に次々とお猿さんが
ルンビニ園 建物の右の柱がアショカ王柱 ガイドさんの解説を聞く
第二回インド仏跡巡拝記②
クシナガラ・涅槃堂
広い敷地の中に涅槃堂があり、周辺を白い行者服を着た巡礼の人々が長い行列をくんで参拝されていました。堂内には大きな涅槃佛が安置され、熱心な仏教徒の方々が取り囲み、ある人はしゃがみ込みお経を称えておられました。私たちも立ち止まり合掌致しました。
祇園精舎・舎衛城
仏説阿弥陀経の始めに書かれている祇園精舎は霧に囲まれていました。お経には「千二百五〇人と倶なりき」と記されている釈尊説法の中心の場所で、小高くなったレンガ跡があり他国の巡拝者の後、同行の皆さんと登壇し皆でお経を勤めをしました。前回の霊鷲山での勤行と同じく、嘗てここでお釈迦様が阿難さんがそして舎利弗さん等が・・歩いておられたのかと想うと感無量の思いがありました。周辺一帯は発掘調査が進んで公園のように美しく整備されていました。
第二回インド仏跡巡拝記①
今回は、2024年1月20~27日の日程。前回訪れることができなかった釈尊の涅槃の地クシナガラと誕生地として有名なルンビニーの地を巡拝してきました。参加者はご門徒や住職を含め13名の参加でした。
関空から香港で乗継し、インドのデリーに深夜到着。外に出ると薄ら寒く日本の晩秋から初冬の雰囲気で霧か煙霧が濃く、晴れているのに夜空には月がぼんやり見える状態でした。
翌日、デリーから東北部の地方都市パドマに移動。前回はここから南下して王舎城へ向かった場所ですが今回は北へバス移動、ガンジス河を渡りクシナガラへと向かいました。道中バスの車窓からのインドの風景はあふれるような単車と車の洪水、街の喧騒、人々の生活感満載のまさしく「これがインド」の一言で紹介されるインドが変わらずそこにありました。
特に今回訪れた地域はインドの地方都市でいわば田舎です。道路がすべて生活道路で、道沿いには粗末なレンガ作りトタン屋根の家が延々と続き、家の前では焚火で暖をとりながら牛や羊と一緒に子どもたちが屈託なく遊んでいました。都会では一握りの大富豪がピカピカの生活をする反面、8~9割の大多数の人々が地方で貧しい暮らしを強いられている世相は2500年前の釈尊の時代から変わっていないような印象を持ちました。
オリオン大星雲 撮影:2024.1/2 22:28 八尾の自坊にて
今年の初星見にオリオンの大星雲を撮りました。大晦日は時雨空でしたが元旦から回復し、二日の今日は暖かく穏やかな快晴となり久しぶりの星見です。大阪の光害の夜空ですから肉眼では2等星ぐらいしか見えないのですが、最近はデジタルと画像処理の技術が進んで、こんな天体写真が簡単に撮影できる時代になっています。驚きです。
天界はこの様に粛々と常時の如く刻が流れていますが、地上界は大変な災害、事故が新年早々に続きました。
1月1日元日午後4時過ぎ、最大震度7の能登地震が発生、大津波も日本海側に押し寄せ石川、富山を中心に大きな被害が出たと思いきや、さらに翌日の2日午後6時前、羽田空港で379名搭乗の日航機が着陸時、震災救護に出動の海上保安庁の航空機と衝突大炎上の大きな航空機事故が発生しました。残念ながらお亡くなりになられた皆様方に哀悼の意を表したいと思います。日航機の搭乗者全員が炎上前に脱出されたことがせめてもの救いです。これはまさに奇跡的、日航のスタッフさんお見事です!
正月早々の大災害と大事故の連続、こんな事は初めてではないでしょうか。
阪神タイガースがリーグ優勝し、日本シリーズ戦ではオリックスバッファローズに4勝3敗で競り勝ちでシリーズ優勝!、38年ぶりの日本一になりました。11月5日は一ファンとしてもワクワク、どきどき大変嬉しい日となりました。それにしても岡田監督・選手の皆さんお見事でした!
38年前を振返えると、たしか阪神が日本一になった年は色々あった年でした。8月には御巣鷹の日航機墜落の大惨事がありました。搭乗者に歌手の坂本九ちゃんやタイガースの球団社長の名前があり、追悼の意での戦いは今回は横田選手の若逝とも重なっていたように思います。
当時、10月8日夕刻、ソ連のコスモス人工衛星が火球となって、甲子園での阪神戦でも中継カメラの視野に夜空に流れる火球が撮影されていたこともニュースになっていました。運良く当夜は住職がジャコビニ流星群の観測に室生観測所に出かけていた時で、タイミングよく手持ち撮影した火球写真が朝日新聞に掲載されトピックとなったものです。住職34歳、長男が生まれた年で、あの有名なハレー彗星が回帰した前年(半年前)にあたります。
彗星が76年周期であることから今年は半周回って太陽系の端近くの遠日点を通過、転回し、再び地球に向け帰ってくることになっています。マラソンで言えばちょうど折り返し点通過のイメージでしょうか。ハレー彗星が次回帰って夜空に大彗星となって輝くのは38年後の2062年ですから住職が生きておれば110歳、当然この世ではとても無理ですから。お浄土の一等席から眺めて見たいと思っています。(笑)それまでにタイガースは何回日本一になってるか楽しみです。まさかまた38年かかったりして・・・。「38」がキィワードになりました。
今のハレー彗星の位置、マラソンでの折り返し点
昨年5月に、小さな球根を3つ植えて昨夏はソコソコの花や葉だったのですが、今年はこんな風にいっぱい、でっかくなり、しかも11月になっても咲き続けています。高さは1.8m、私の身長を越してしまいました。今年の夏の長さと記録的高温のせいでしょうか。
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