法話・感話

六地蔵さん
2024.9.14|法話・感話

六地蔵さん

太田の共同墓地は昔から村人が共同してお守りしてきた大切な墓地です。正面のお堂には阿弥陀如来さま、入口右横には地蔵さまがお参りの方をお迎えしておられます。

地蔵さまは六体あって「六地蔵さん」と親しまれ呼ばれています。

お地蔵さまの正式なお名前は「地蔵菩薩」です。ご本尊の阿弥陀仏の両脇におられる観音菩薩様、勢至菩薩様と同じ「菩薩」というお仲間です。この「菩薩」という言葉は、インドの古い言葉の「ボーディ・サットヴァ」という言葉がなまったもので、「悟りを目指す者」という意味があります。阿弥陀さまや、お釈迦さまのように悟りを開くところまでは行っていないけれども、長年仏様を目指して修行をしてこられた方々を菩薩とお呼びしているのです。

六地蔵の六という数字には意味があります。これは六道輪廻という教えからきています。人は六つの道をグルグル経巡って生きて、そこから中々踏み出すことができない、それが苦しみの根本なんだと。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つの道です。

「天」は寿命も長く、嫌なこともなく思い通り幸せに暮らせるという世界です。最高の場所に思えますが、欠点もあり「幸せすぎて、何も持っていない人の苦しみが分からない」のです。有頂天になってストンを天から落ちてしまうこともあります。
次が「人」、私たちが今生きている世界です。色々と辛い四苦八苦もあるけれど、その分楽しいこともあるし、人の言葉がわかり仏の教えに出会って、救われるチャンスもある世界です。三つ目は、「修羅」、ここではみんなが常に争っている戦いの世界です。「修羅の道」といいますが、「あいつが悪い、あいつのせいだ」を指します。「畜生」は動物の世界です。飼い主に大事にされ、家族同然のペットであれば幸せかもしれませんが、括られて、ほとんどは本能に振り回され、弱肉強食の中で短い命を終えてしまいます。次は「餓鬼」、いつもおなかがすいていて、食べ物を食べようとしても口に入れる前に燃えてしまい、飢餓に苦しむ「いつまでも欲しい欲しい」の世界です。
 最後が「地獄」。色々な種類がありますが、例えば重い罪を犯した人が罰を受ける世界です。源信僧都の往生要集に示された血の池だの針の山だの、地獄絵図を見るといかにも恐ろしげです。「嘘ついたら地獄行きやで」と子どもに諭したあの世界です。

 仏教の中で、地獄に落ちるとか、畜生に生まれるとが言われてきたのは、人が悪を行わず、善いことをするようにという、教訓的、警告的な意味があったからでしょう。

 しかし、お釈迦さまの教えの基本からすれば、この六道はいずれも、私たちが現在の人生において、入れ替わり立ち替わり、次々と経験しなければならない苦悩の状態を教えたものと受け止めるのです。六道は私たちが自分の行いの報いとして日頃に経験している苦しみのことであるのです。阿弥陀仏の本願を敬い、本願を喜ぶならば、苦しみの状態を一歩超えられる「七」というお浄土の世界があるのです。私たちのお墓の入口に六地蔵さまが立って居られる意味を考えたいものです。

「一切皆苦」月参りで

本堂向拝左彫物「象の木鼻」

 あるご門徒さんのお宅で、月参りのお勤めが終わったあとご主人との世間話をしていました。「住職さんよ、歳をとってみないとわからないこともあるもんですわ」「最近特に忘れっぽくなって、でも認知症にだけはなりたくないし、なるべく息子らに迷惑をかけんようコロッと逝ければいいんだけどなあ、かといって死ぬ勇気もないし困ったもんですわ」「歳いったら思うようにいかんことのほうが多いですわ、長生きも大変、若いときが一番よかったかな」・・と冗談っぽくお話されていたので、私もいい歳になって同感するところもあるので軽くも重くも聞かせてもらえたのですが・・・。

 

 私たちはいつまでも健康で元気にいたいと思っていますが、実際にはなかなかそうもいきません。歳を重ねるにつれて簡単に怪我をしたり病気になったり、大事な方を亡くしたりと、若い頃には思いもしなかった苦しみやさみしさ、この先の不安などを抱えながら生きざるを得なくなってきます。「あとどのくらい生きれるのだろう?」「死んだらどうなるんだろう?」「何のために生きてんのかな?」と誰もが一度は考えるものです。しかし、そのような人生の問いについていくら考えてたところで私たち人間の知恵では答えなど出るはずもありません。そんな時は遠慮なく目の前のぼんさんにお話ししてください。愚痴になっても構いません、大歓迎です。そして一緒にお念仏申しましょう。お釈迦さまは、人生は苦なり、「一切皆苦」と説かれました。そしてその苦を消し去るのでなく、なんとか一歩超えていく道を教えていただいたのです。

丁度よい
2024.7.1|法話・感話



ネジばな(捩花、学名:Spiranthes sinensis var. amoena)は、ラン科ネジバナ属の小型の多年草。別名がモジズリ
境内にそこそこ手入れしていない芝があるのですが、真ん中に二本の面白くて可愛い草花が咲いていました。梅雨の時期が合っているのでしょうか。小さな花が丁度ネジのようにぐるぐる巻きながら伸びています。


丁度よい
お前はお前で丁度よい。顔も体も名前も姓も、お前にそれは丁度よい。貧も富も親も子も、息子の嫁もその孫も、それはお前に丁度よい。幸も不幸も喜びも、悲しみさえも丁度よい。歩いたお前の人生は、悪くもなければ良くもない。お前にとって丁度よい。地獄へ行こうと極楽へ行こうと、行ったところが丁度よい。うぬぼれる要もなく卑下する要もない。上もなければ下もない。死ぬ月日さえも丁度よい。仏様と二人連れの人生、丁度よくないはずがない。丁度よいと聞こえた時、憶念の信が生まれます。南無阿弥陀仏  (江戸時代の僧侶・良寛作)

師匠と弟子
2024.5.28|法話・感話

紫蘭(学名: Bletilla striata Reichb. fil.)は、ラン科シラン属の宿根草。地生ランで、日向の草原などに自生する。


「親鸞は弟子一人ももたずそうろう。」   
「歎異抄」「聖典」628
 よい先生やよい友達にに出会うことが、大事なことだと言われます。人生を豊かに変える大きな出来事になることも良く聞きました。特に自分にとって「先生」と呼べるような人と出会いはかけがえの無いことで、その方「師」のもとで「生徒」として学び、師弟関係を結ぶのです。師弟関係は、お茶やお花、習字などの習い事の道においても大切なことですし、落語や舞妓さんなどの芸事の世界でも良く聞きます。また、師弟関係は人生の道を学んでいくということにおいても極めて大切で、師匠から細かい技術的な事など直接学ぶことが無くても、その振る舞いや後ろ姿を見ながら弟子として学んでいく、そんな師弟関係を仏教は大事な事柄として語っています。


  親鸞聖人の語りかけを通して、人生の大切な事柄に気付いていった人々が多く生まれました。歎異抄を著した唯円という人もその中の一人です。ですから、親鸞には「弟子」と呼んでもよいような人達が沢山いたわけです。それらの人達は、親鸞を仏教の「先生」として尊敬し、慕っていました。それにもかかわらず、親鸞自身は、「某、弟子一人も持たず候」(自分は弟子を一人も持っていません)と語っておられるのです。これは一体どういうことなのでしょうか。

 親鸞90年の一生涯において、確かに自身が努力して仏教を学び続けていかれたのにです。そして同時に他の人に仏教を伝えていかれたのも事実です。しかし、そのように親鸞自身が学びかつ伝えていった仏教(浄土真宗)とは、自分の力によって信心を起こすものではありませんでした。また、自分の力によって他の人に信心を起こさせるというものでもなかったのです。この親鸞の気づきが浄土真宗の要なのです。

 都合によりコロコロ変わる我が心の頼りなさや自分の力の限界に気づき、本当の事への目覚めは真実である如来のはたらきによってこそ起こること。そして、その真実の如来の前では、誰であろうと悩めるただひとりの人間という以外の何者でもない。そういう仏教に親鸞は出会われたのです。だからこそ、人と人との繋がりの上では先生と弟子であっても、如来の前では丸裸の対等な人間同士となるのです。
  そのような仏教に出会われた親鸞は、「自分は弟子を一人も持っていません」と言い切るのです。仏教を学ぶとき「先生」であろうが「弟子」であろうが、共に学び合う「友」「同朋」(どうぼう)なのです。

便利でスマートな生活 (寺報24-5より)
2024.4.15|法話・感話

便利でスマートな生活

近くのスーパーやコンビニに行けばたいていの食料や生活用品は手にはいる。最近はレジまでスマホで現金を数える事が無くなった。欲しい図書を始め様々な用品はアマゾンで指一本で翌日には玄関まで届けられる便利な時代になった。ところが、気がつけば街から小さな商店や本屋さんなどがなくなってしまった。本当にこれでいいのだろうか。

物に恵まれ、便利でスマートで効率的な生活は、快適であるにちがいない。ある意味では、便利であるということは、人と人との面倒な関わり合いを少なくし、他人に頭を下げないで済むということでもある。しかし、居ながらにして物を手に入れ、ボタンひとつ、カード一枚で処理できるスマートな生活は時として物事のプロセス、そして人間の姿や他人の涙や苦労を見えなくするし、また感動する心すら奪い去っていくように思われる。しかしながら、人は目先の感動を求め目先の喜びに酔いしれる。

もしかすると、便利でスマートな生活が生み出す「当たり前」の心こそ、不信と猜疑の心が渦巻く孤独への切符かもしれない。そして、諸行無常の娑婆を堂々と生き抜く力を弱めているのかも知れない。(出典参考:いのちのことばⅡ)


北町Nさん宅の花壇

春永代経法要2024

4月7日(日)午後2時と7時の二座、永代経法要のお勤めをしました。
阿弥陀経のあと柏原平野の遠慶寺住職、大橋恵真師より「私は正しい、争いの根はここにある」をテーマにご法話を戴きました。


聴聞されるご参詣の皆さん


ご法話のレジュメ

子ども花まつり2024

子ども花まつり2024

お釈迦さまのご誕生をお祝いして毎年この時期に「子ども花まつり」をしています。

近くの子ども達や保育園の子どもたちがたくさん来てくれ、賑やかに開催することができました。

ごあいさつに続いて、子ども正信偈のお勤め。保育園の年長さんには少し難しいですが

何とかついてきてくれました。お釈迦さまの話しのあとは、ブットンくんの登場です。

みんなで元気に「ブットンくん〜ー」と呼んだらふすまの隙間から顔を出してくれました。

あとはブットンくんとジャンケンゲームなどをして遊び、久しぶりに子ども達の元気な

声で本堂がいっぱいになりました。

最後にお釈迦さまに甘茶を注いで、手を合わせて「まんまんちゃん!」おみやげにしおりや

お菓子をいただき皆さんニコニコでした。              (4月5日午後2〜3時過ぎまで)

 

第二回インド仏跡参拝記④

第二回インド仏跡参拝記④

ネパール

ルンビニの空港からネパールへのフライトは大変でした。ホテルで朝食を済ませたあと空港が濃霧の為、閉鎖中との知らせがあり回復の目途がたたないらしい。搭乗予定の飛行機が来ないので回復を待つしかないといいます。結局は昼頃になって回復し半日遅れで出発できたのですが、霧が晴れなかったら、十時間以上の長距離バス移動を余儀なくされるところでした。しかも山岳未舗装のデコボコ道だったとか。一同ホットしたものです。

ネパールはインドと比べて空気も澄んでゴミも少なく綺麗な印象でした。人口も少なく街がコンパクトだからかもしれません。また、教育熱心なようで学校もよく整備されており学生さんもキチンと制服をきて通学していました。表情も日本人に近く親近感をもちました。

 

ネパール、カトマンズ市内

 

エベレスト遊覧飛行

「一度は世界一の山を見てみたい!」という思いを実現させるためツアーの最終に遊覧飛行を計画しました。三回挑戦したものの天候不良でダメだった方もあるとか、今回は幸運にも一発勝負で成功でした。中型の航空機に窓際のみ搭乗で一人、一つの窓が与えられじっくりヒマラヤの山々と最後にエベレストを観覧することができました。ただ、もっと接近して目の当たりにしたかったのですが安全基準が厳しいのか、かなり遠望だったのが残念だったところです。七~八千メートル級の山々が連なるヒマラヤの雪山が次々に現れやがて世界一の横綱エベレストが登場するあたりは見応え充分でした。

7000〜8000m級のヒマラヤの連峰が続く

 

ヒマラヤの雪山からエベレストを望む

 

カトマンズ本願寺

カトマンズに浄土真宗のお寺があり旅の終わりにお参りしました。交通事故で全身不随となった故向坊弘道氏によって建立された寺院で、地域の仏教ソナム氏との出遭い、念仏の教えに帰依され2007年に本願寺派から正式に本願寺の名称使用が許可されたという。目立たない建物の中は立派な真宗寺院でした。当日お勤めや法話をされた僧侶は、京都の西本願寺で勉強され日本語も堪能な現地の女性で「久しぶりに本場のお勤めを思い出しました」と笑顔で語っておられました。

バスの渋滞、航空機のトラブル、インドには珍しい寒さなど幾つかのトラブルはありましたが、念願の釈尊誕生や、涅槃の地、エベレスト遊覧の日程を無事終え帰途につきました。

 

お勤めと法話をされた女性僧侶

 

カトマンズ本願寺でのお勤め

第二回インド仏跡巡拝記③ ルンビニへ

ルンビニ

 釈尊涅槃の地クシナガラを巡拝したあと、私たちは釈尊の誕生地であるルンビニを訪れました。この聖地への旅は、シッダールタ太子がこの世に生を受けた処に触れることができる、まさに特別な体験でした。入場への長い通路には近くの林に住む、人馴れしたお猿さんが迎えてくれ餌をねだっていました。霧に包まれたルンビニ園は、世界から多くの巡礼者が参拝され、仏教的にも歴史的にも重要性を物語っている聖地となっていることを感じました。アショカ王の柱と碑文、古くから伝わる古代の遺跡を順に巡りながら、釈尊の教えの源に触れることができました。インド仏跡巡拝記を綴る上で、ルンビニへの旅は同行の皆さんに心に深い印象を残したようです。

 

ルンビニ園へ 通路に次々とお猿さんが

 

ルンビニ園 建物の右の柱がアショカ王柱 ガイドさんの解説を聞く

インド仏跡巡拝記② クシナガラから舎衛城・祇園精舎へ

第二回インド仏跡巡拝記②

 

クシナガラ・涅槃堂

広い敷地の中に涅槃堂があり、周辺を白い行者服を着た巡礼の人々が長い行列をくんで参拝されていました。堂内には大きな涅槃佛が安置され、熱心な仏教徒の方々が取り囲み、ある人はしゃがみ込みお経を称えておられました。私たちも立ち止まり合掌致しました。

 

 

 

祇園精舎・舎衛城

仏説阿弥陀経の始めに書かれている祇園精舎は霧に囲まれていました。お経には「千二百五〇人と倶なりき」と記されている釈尊説法の中心の場所で、小高くなったレンガ跡があり他国の巡拝者の後、同行の皆さんと登壇し皆でお経を勤めをしました。前回の霊鷲山での勤行と同じく、嘗てここでお釈迦様が阿難さんがそして舎利弗さん等が・・歩いておられたのかと想うと感無量の思いがありました。周辺一帯は発掘調査が進んで公園のように美しく整備されていました。

第2回インド仏跡巡拝記①

 

第二回インド仏跡巡拝記①

今回は、2024年1月20~27日の日程。前回訪れることができなかった釈尊の涅槃の地クシナガラと誕生地として有名なルンビニーの地を巡拝してきました。参加者はご門徒や住職を含め13名の参加でした。

関空から香港で乗継し、インドのデリーに深夜到着。外に出ると薄ら寒く日本の晩秋から初冬の雰囲気で霧か煙霧が濃く、晴れているのに夜空には月がぼんやり見える状態でした。

翌日、デリーから東北部の地方都市パドマに移動。前回はここから南下して王舎城へ向かった場所ですが今回は北へバス移動、ガンジス河を渡りクシナガラへと向かいました。道中バスの車窓からのインドの風景はあふれるような単車と車の洪水、街の喧騒、人々の生活感満載のまさしく「これがインド」の一言で紹介されるインドが変わらずそこにありました。

特に今回訪れた地域はインドの地方都市でいわば田舎です。道路がすべて生活道路で、道沿いには粗末なレンガ作りトタン屋根の家が延々と続き、家の前では焚火で暖をとりながら牛や羊と一緒に子どもたちが屈託なく遊んでいました。都会では一握りの大富豪がピカピカの生活をする反面、8~9割の大多数の人々が地方で貧しい暮らしを強いられている世相は2500年前の釈尊の時代から変わっていないような印象を持ちました。

修正会って?
2023.12.18|法話・感話

 

「修正会」(しゅしょうえ)は新年に勤まる法要です。

一年の締め括り、そして新年初めての大切なお勤めです。願立寺では大晦日の深夜零時と元日朝十時に行います。大晦日の夜の十一時過ぎ、テレビでは紅白歌合戦も終わりに差し掛かった頃合いに、本堂に灯りと暖房を付けて準備をします。やがて歌合戦も終わり、ゆく年くる年の放送が始まる頃、門徒さんが本堂に集まって来られ、零時に皆さんと一緒に「正信偈」のお勤めが始まります。修正会は、正月を修めるという意味の他、正を修めるという意味もあります。正とは正すという事で、自分自身のことを改めて見つめ直すという事です。私たちは生活する中で様々な出会いを経て日々を送っています。そんな出会いの中で生まれた感動が今を生きる私たちの生き方に根差しています。私たち真宗門徒においても、法要や法話を通して頂いた感動が生活の中の大きな拠り所となっていると思います。

 

仏説無量寿経では釈尊の弟子阿難尊者の感動が語られる場面があります。阿難尊者は多聞第一と言われ、釈尊の教えを沢山聴いて来られた方ですが、なかなか悟りには至れなかった方でもあります。親鸞聖人は和讃に「尊者阿難座よりたち、世尊の威光を瞻仰し、生希有心とおどろかし、未曾見とどあやしみし」と語られておられます。この和讃は、ある日、阿難尊者が釈尊の姿を見ると、とても輝いておいでだった。その初めて見る不思議な姿に阿難尊者は驚き立ち上がった、という内容です。もちろん人間から光が発せられる事はありませんから、苦悩する阿難尊者が初めて本当に尊いものに出会うことが出来たという感動がここで語られているのです。

 

お寺のお勤めが終わった後、帰り際の門徒さんとお話ししていると冗談めかして「お寺の門を出たら聞いた話全部抜けてしまうんや」と語られる方がおられます。私も法話を頂いた後には、ああ良いお話しが聞けたなと思いつつ、一度普段の生活に戻ってしまえば、いつの間にか折角いただけた感動も何処かへ行ってしまいます。この和讃はそんな私へ投げかけられている様に思います。だからこそ、一年の節目、この修正会で我が身を見つめ直す事が大切なのだと思います。 (若院)

 

・大阪教区パンフ(知ってる?仏事あれこれ)掲載

 

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