法話・感話

お風呂のはなし

 

お参りでお風呂の話になりました

今は便利になりましたけど

昔のお風呂は嬉しいもんやった

 

風呂みたいなもん、一般のうちにはありまへん

母屋のお風呂を時々貰いにいきまんねん

水も井戸から汲んだりして貴重なもんやさかい

2~30センチぐらいしかないときもあった

夏は行水が当たり前ですわ

 

おっちゃんが、

「今日はお湯が仰山あるからゆっくり入っていきや」

と声を掛けてくれる

「お先に貰います」

「加減どうや」「薪一本足しとくで」

「ええ湯です」

「お先に戴きました。おおきに」

「またはいりにきいや」

 

これがいつものお風呂もらいの夕べでした。

けど、この頃の風呂はボタン一つ押したら全自動

 

ピーン

「お湯はりをします」

・・・・

「まもなくお風呂がわきます」

暫くすると 

「お風呂が湧きました」と機械の声

 

焚きすぎもなく、ぬるくもなく、適温です。

お湯の量も測ったみたいにキッチリとしてくれまっけど

 

なんや淋しまんな、ほんまに。

しっかり婆さんボケません

月一度の月忌参りで、いつも楽しくお話しします。

お婆さん、時には誰とも話しをしない日もあるそうで、

私とのお話を待っておられるぐらいです。

 

しっかりお婆さんは良く片付いた簡素な住まいにひとり暮らしです。

お爺さんは既に逝かれて、朝夕お内仏に手を合わせる毎日。

息子さんらは既に家庭を持ち、独立して別に生活。

何にも文句も言わず、ニコニコ暮らしています。

 

この方の特徴は

愉快に過ごされ、何事も楽しむ精神をお持ち。

毎日の生活に変わらないルーチンがある。

寝る前に日記を書き、一日の出来事を思い出す。

テレビも見るが、文庫本を何冊も読まれる。

中年期に大きなご病気もあったが今は治った。

耳が良く聞こえ、目もよく見える。

買い物は息子や嫁にして貰うが、食事、そうじ、洗濯は自立。

朝夕の声にだしての正信偈お勤め。

 

既に超高齢の域、五感をしっかり使い居場所のある

この婆さんはボケるはずがありません。

蝉の羽化

撮影:坊守

 

境内の木に蝉が羽化をして抜け殻に止まっているところを見つけました。

多分、昨夜暗いうちに地面に穴を開けこの木に登ってきたのでしょう。

蝉の幼虫は土のなかで6年過ごしてやっと地表に出てくると言います。

そう言えば、早朝からシャンシャン・・・と蝉の合唱が聞こえ始めました。

長く続いた梅雨もそろそろ明ける頃です。

 

惠蛄(けいこ)春秋を識らず

       伊虫(いちゅう)あに朱陽(しゅよう)の節を知らんや

 

曇鸞大師

 

せみ(ツクツクボウシ)は春や秋を知らない。

この虫がどうして夏を知っていることがあるだろうか

夏だけ知っていることは、本当の夏を知らないのである

 

ほうき星の出現に想う

夕空に見えているネオワイズ彗星

 

古来、ほうき星の出現は流星雨や皆既日食などと同じように、自然災害や疫病、戦争、

王の死や国の滅亡といった出来事を予言する凶兆現象としてとらえられてきたこと

もあると記録に残っています。

「彗星のように現れ彗星のように去っていく」などの言葉があるように平生の星の

動きとか惑星、月の定まった現象と違って、音もなく天空に現れ神秘的な輝きのなか

長い尾をひき、やがて消えてなくなる現象は、まだ科学の未発達の時代に上記のよう

な凶兆を予言する現象とみられても不自然ではなかったのです。

 

今、ネオワイズ彗星が現れて同様に世間の凶兆を眺めてみると、なるほど確かに

あるわあるわというところです。新型コロナ禍で世の中は激変、志村けんさんが

急死されると雰囲気が一気に緊張し、世の中は長期の自粛に入って経済がどんどん

疲弊、たくさんの店、会社が倒産。少し好転し始めたころに梅雨の集中豪雨、

「線状降水帯」という気象用語が飛び交い、九州をはじめ多くの街が水害のドロの

海に浸かってしまいました。「泣きっ面にハチ」とはこのことです。

 

冷静によく考えてみましょう。科学がこれだけ進んだこの時代にこれをネオワイズ

彗星のせいにするほど我々は愚かでないはずです。でもどこかであれのせい、これ

のせい、挙句はてには彗星のせいにしている私たちがいるような気がします。

自分の都合の悪いことはつい人のせい、あいつのせい、コロナも大雨洪水も彗星の

せいにしていませんか。「分かっちゃいるけどやめられねー」仏法の大きなテーマ

です。

 

集中豪雨はこのところ毎年どこかで起こっています。「50年に一度の災害」「命を

守る行動を」と度々報道されますが、考えてみれば全国に50箇所もあればどこかで

毎年起こっていることになります。大津波、大地震、巨大台風、火山噴火、・・・

結局、大きな彗星が23年ぶりにあらわれたから災害が起こったのではなく、世の中

はいつも災害や戦争が起こっていたということですよね。

 

自然災害、日本列島では当たり前のことだった。人の気持ちとして「何かのせいに

しておきたい」悪者をつくると安心する精神構造という単純な事でした。

災害が多い分、日本列島には春夏秋冬の鮮やかな四季があり温暖で過ごしやすく、

美しい水のながれる川があります。火山が列島に繋がり、たまに噴火して怖い思い

もしますがおかげで風光明媚、身体を癒やす温泉が豊富です。

 

人間に都合の悪いことだけでせっかく5000年ぶりに帰ってきた彗星を悪者にしては

これほど可哀想な事はないのです。

コロナ禍、お参り再開

アガパンサス(ムラサキクンシラン)が咲き始めました。

 

 

今回の新型コロナ禍はこれまでの常識をすっかり変えてしまったようです。

少し世の中が落ち着いてきたこともあり、大阪の感染者数もゼロや一桁の

日々が続くようになり、恐る恐るですが月参りも再開しました。

 

たったふた月ほどでしたが、皆さん「お久しぶりです!」と迎えてください

ます。毎月、顔を合わせていた事が、日常の普通の出来事がほんとに大切

だったようです。

そしてこのコロナ禍で皆さんの様子や日々の暮らしの感じ方がずいぶん変

わっておられるように感じました。お勤めのあとお茶を戴きながらこのよう

に話される方がおられました。

 

「もしコロナにかかったとしても入院したいことおまへんわ」

「人工呼吸器もいらん」

「着けても、どうせ年寄りはあきまへんねやろ」

「先のある若い子につこたっとくなはれ」

「わてコロッといきまんねん」(笑)

 

中でも、お笑いの志村けんさんや女優の岡江久美子さんのコロナ急死が物凄く

強烈な印象を与えたようです。

 

コロナで死んだら家族も来てもらえないし、普通の葬式もしてもらえない。

手いっぱいの病院に迷惑をかけたくないし、家族にもえらい迷惑が掛かる。

ほとんどのお年寄りが考えておられるのです。

 

普段ならいのちにかかわるこんな話しは避けていたご本人が、しっかりと向き

あうようになっておられるのです。

流行り病の御文

 

親鸞さんや蓮如さんの時代にも度々伝染病が流行って多く民が亡くなり京都の鴨川川原に亡骸が

うず高く積まれ腐臭が辺り一面に漂ったと記録されているほどです。

私たち太田の地でも法名帳などを見ていると戦後の一時期、赤痢やチフスが流行してひと時に

たくさん亡くなったことが伺える記録が残されています。今は移転した市民病院に古い円形病棟が

あって感染症の隔離病棟であったと聞いたことがあります。

 

蓮如さんの御文の中に「疫癘の御文」というのがあり意訳してみました。

 

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近ごろ、たいそう沢山の人びとが流行り病にかかって亡くなっているようです。しかし、これは

決して流行り病が原因で亡くなったのではなく、生まれた時から定まっている寿命のご縁が切れた

のだと仏教ではとらえるのです。

それほど驚くべきことではない。生死は当たり前のことと心得ましょう。

とは言うものの、この様なときに近しい方が亡くなると、きっと流行り病によって亡くなったんだ

と人は思うもので、これも人として当然のこと、もっともなことであるとも思います。

そのことから、阿弥陀如来は「末代の凡夫、罪業の私たち、罪がどれほど深くとも、我を一心に

たのむ衆生を、必ず救うぞ。」と仰せられたのです。こういう希望のもてない時期に遭遇した者

は、阿弥陀如来の恵みで明るい世界に向かおうと願い、阿弥陀如来の働きを疑う心を持つべき

ではない。心からうなずけたら朝晩に称える「南無阿弥陀仏」というお念仏は、「ありがとう」と

感謝する言葉にほかならない。

これがすなわち祈願やお願いの念仏でなく、「仏恩報謝の念仏」というのです。

 

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生まれた時から定まっていたとはいえ、別れはつらいものです。新型コロナが広がったこの時期

にも葬儀が数件ありました。葬儀は通常行事のように中止や延期という訳にはまいりません。

可能な限り三密を避け、マスクや常時消毒するなど、慎重に執行させて頂きました。

政府、知事からの緊急事態宣言も少しづつ解除の方向も見えてきました。

 

あと少しの辛抱です。

 

出かける機会は最少にして、どうか体調に気を付けて穏やかな一日をお過ごし下さい。

コロナパンデミック
2020.4.23|法話・感話

ハナミズキの花が咲きました

 

コロナパンデミック

まさにこれは、生命のさけびである。

大地をゆるがす生命のうめき声が聞こえます。

 

現代は病める地球の時代になったのかもしれません。

日々激変する自然環境の中にあって、動物や虫けらやウイルスまで、

山川草木が懸命に訴えているのでしょう。

「生命を生きおうているものがどうして生命を粗末にするのか」と。

 

人間は万物の霊長だと飽くことなく、便利さと豊かさを追い求めてきました。

その代償に尊厳な生命さえ見失い、共存する生き生きとした生命感覚までも

マヒさせてしまったようです。

 

欲望という名のロケットに乗って幸福を求めてきた結果、

一瞬にして新型コロナが船内にまん延してしまいました。

 

そこで、私たちは今、何をして、どう生きるかです。

 

※「いのちの言葉」参考にして

クルーズ客船と新型肺炎に思う
2020.2.14|法話・感話

画像:ダイヤモンド プリンセスHPより

 

中国の武漢から発生されたとされる「新型肺炎」の脅威が連日に渡って報道されています。

この感染症の発症は昨年末のようですが、年明けから感染者や重症者、深刻な死亡例も

日に日にマスコミで報道されて、日本国内にも増加し今春になって感染が爆発的に拡大

しないかと心配されています。

 

 特にクルーズ船での感染拡大と船内での隔離状況も伝えられて、多数への感染拡大を

止めるための、少数の感染グループの犠牲についてはやむを得ない事かと思いつつ

複雑な思いになります。

 

 豪華クルーズ船の旅は、きっと優雅なものなのでしょう。煌びやかな船内装飾のなか

豪華な食事、飽きさせない映画やショーの数々、カジノでの娯楽や屋上プールなども

紹介されていました。ところが、ひとりの感染者の出現で一瞬にして環境が暗転しました。

乗客の老夫人が電話インタビューに答えておられました。

 

「まるで刑務所」「天国から地獄になりました。」「辛いです。」という言葉。

 

この言葉を聞いて状況や規模は違いますが、かつての豪華客船タイタニック沈没の

大惨事をも連想してしまいました。

 

 私たちは近代科学文明の恩恵を、否応無しに無意識に受けています。ただ、忘れては

いけない事があるようです。大地震や大水害、津波や巨大台風等々で、文化的な生活が

一瞬にして無くなってしまうことに私たちは気づきはじめているはずです。

 

 人は幸福を追い求めます。豊かさ、快適さ、利便さ、もっともっと、さらにさらにと

いう人間の知恵による行いのツケがここに来て、少しずつ回ってきていると見るべきでは

ありませんか。

 

 親鸞さんは「末燈鈔」という書物に「自然法爾」(じねんほうに)という言葉で述べられて

います。

 

「自然(じねん)というは、自はおのずからという。行者のはからいにあらず、しからしむと

いうことばなり。然というはしからしむということば、行者のはからいにあらず、

如来のちかいにてあるがゆえに。」と。

 

 行者は私たちのこと、「はからい」は人間の分別や計算、企てのこと。人知には自ずから

限界があるということでしょう。本来、なるようにしかならないことを、私たち人間の

勝手で改造したり、分別で変えてしまうことは自然のことわりに反していることなんだと

いう事なのでしょう。

 

本当の幸福とは・・・

「真っ赤な満月」ー阪神淡路大火災から25年ー
2020.1.17|法話・感話

  震災の追悼式を伝える 読売テレビ 「ten」より

 

あの朝1月17日の出来事は25年経った今でもはっきりと覚えています。

 

未明の5時46分でしたかいつもはまだ寝ている時間です。さすがに特別な地鳴りに

目が覚めたようで、大きな地震独特の遠くからの微振動が近づいてきたかと思うと、

強い突き上げるような縦ゆれがガタガタと来て「大地震や!」と跳び起きました。

机に積んでいた書類が崩れたり、本棚の本がドサっと落ちたり、周りの家具が

倒れないように大の字になって暫く踏ん張っていました。きつい揺れが体感

2~3分でしょうか、少し収まって隣の子ども部屋に飛び込むと、当日10歳の

誕生を迎えた小学生の長男と妹が平気で二段ベッドで寝ていたりキョトンと

しているのには驚きながらもホッとしたものです。

 

大地震の時は激震地の情報が直ぐに伝わってこないことが、その後分かりました。

テレビをつけると情報が飛び交っていましたが、近畿の各地に震度が4とか5とか

表示されているのに神戸あたりはすっかり抜け落ちているのです。

 

八尾では震度5弱だったので大きな被害は無いようでした。家具の倒壊は無く

本堂前に出ると右の石燈籠の頭が外れて落ちていました。本堂大屋根では西側の

鬼瓦の下げの瓦が落下して道沿いの川に落下していました。通行人のいる時間帯なら

怖かったろうと思われます。屋根瓦全体に緩んだようで、その後の本堂大修復

への道筋になったキッカケになったのも事実です。山門の瓦が緩んで上部に

隙間が出来ていました。内陣に大きな傷みは無かったのですが、御本尊の阿弥陀さんが

少し回転して斜め横を向いていらっしゃいました。揺れとともにコトコト

と回られたのでしょう。しかし、八尾での様子はその後知らされた神戸や淡路の大惨事

とは比べられないほど軽微なものだったのです。

 

テレビには午前中に次々震源近くの被災状況が伝えられていました。その極め付けが阪神

高速道路の高架が何キロにもわたって倒壊している様子や走行バスの宙ぶらりんの衝撃的な

映像でした。巨大なビルも丸ごと倒壊している姿は日本では見たこともありません。

続いて、各地に火の手が上がり街中が炎と煙に包まれて、大空襲された街のような光景でした。

八尾から大阪湾を隔てて数十キロしか離れていないすぐそこでの大災害でした。

 

その日の夕方日が暮れ始めた東の空に、忘れもしない「真っ赤な満月」が昇っていました。

震災大火災の膨大な煙霧が広がり、冬の透明なはずの大気を染め満月を真っ赤に

染めていたのです。

 

私には自然をわがまま放題に駆逐し尽くす私たち人間に

「いい加減にしないと、大変なことになるぞ!」

と叱ってくれている姿に見えました。見たこともない怖く赤い月でした。

住職

ダックスのおかげ
2019.12.13|法話・感話

お参りでのお話しです。

 

そのお宅には可愛いミニチュアダックスがいました。

「いました」ということは最近亡くなったということです。

 

ご主人や奥さんがとても可愛がっておられましたが

5才過ぎにダックス犬特有の椎間板ヘルニアでうしろ脚が

不自由になってしまいました。

その後は、おむつをしてもらいながら10年間

暮らしたことになります。

 

月参りに行くと、玄関を開ける前から鳴き声が聞こえる

ほど活発で可愛い犬でした。

前足だけで上手にスルスルと走ってきますし、目が

クリッとしてとても愛嬌のある賢い犬でした。

 

奥さんは年齢と共に、少しお身体が不自由なところが

あって、犬のお世話が次第に厳しくなっておられました。

とても優しい方で、懸命に犬の介護をしておられる様子が

よく分かったものです。

 

 

今になって、奥さんがしみじみと仰るのです。

 

「私、あの子をお世話していたと思っていたら

反対に、お世話されてたみたいです」と。

 

「あの子を抱いたり、ご飯の用意をしたり、おむつを

変えたりしていたことが、私の腕に力を残して

いてくれたんです」

「今、あの子がいなくなって、握る力が弱くなって

きたのがよく分かります。」

「もし、あの子が居なかったらもっともっと

私の病気が進んでたと思います」

 

「本当に、あの子のおかげなんです」と。

アフガンの中村医師銃撃さる
2019.12.5|法話・感話

画像:時事通信Web

 

アフガニスタンで現地の人びとに支援活動を

されていた医師の中村哲さんが銃撃されて亡くなりました。

 

医師として現地に入りながら、やがて医療の限界を語り、

荒れた土と岩の大地に井戸を掘り、灌漑の川を造られました。

今、緑の大地に変わりつつあります。

 

銃で撃たれた人を治療すること、栄養失調で痩せ細った

子どもたちに食料を与え、治療すること。

どれもとても大事なことですが中村医師は、

ひとまず医療を横に置いて、

大地に水を流し広大な小麦畑を人びと自らが造れる

よう、道筋を付けられたのです。

 

決して銃やミサイル、お金では豊かにならないことを

身をもって示された尊い行動です。

 

報道で、現地の方々と新しく掘られた川に初めて水を

流された時の映像がありましたが、

その水の流れの先端に立つ中村医師の笑顔ほど

美しいものはありません。

木守り柿
2019.11.10|法話・感話

車で一時間ほど走った山里によく星の写真を撮りに行きます。大阪の光害からのがれると

夜空が真っ暗になって、暗い星や天の川などもくっきりと見えるからです。いつも行かせて

もらうあたりは自然がいっぱい残っていて、秋も深まると段々畑と山々の紅葉が見事です。

 

ある時、片付けをしていると在所のお婆さんが野菜や柿を持ってきてくれたのです。

色良い柿を割ってその場でいただくととても甘く美味しい柿でした。

お婆さんはもいだ後に残った中から、特別おいしそうなのをくださったのでした。

柿もぎを終えたあと、「イノシシが畑を荒らして困る事やら、お猿さんも走るんでびっくり

や」などと、世間話をしていたのですが、柿の木の頂上に真っ赤な実が二つ三つ残っている

のに気がついたのです。

お婆さんは「あれは、木守り(きもり)とゆうてね、来年もよく実りますようにとお願い

をするおまじないや、木の高いところにいくつか、柿の実を残しておくんや」と。

なるほど、何とゆかしい習慣だろうと感心していると、ニコニコしながらお婆さんの

言葉が続きました。

「それとやな、何もかもわてら人間さまが食ってしまわんで、これから食べ物が少のう

なるやろ、寒い冬にしんどいめをするんやろうから、あの鳥やら生き物にちょっとでも

残しとかなあかんなというせめてもの気持ちやねん。」 「食べたあと、遠くへ種を運んで

くれるかもしれんしな。」「お互い様のおつきあいや」

 

この言葉にはハッとされました。小さな野鳥たちのことまで気づかう心、まさに仏様の

慈悲の心です。人と自然の共存共栄、おつきあいを守り続けようとする昔からの習慣に、

私たち現代人はもっともっと学ぶべきなんだと思います。

 

いま私たちは、自然を痛めつけるだけ痛めて生きています。マグロやウナギをはじめ

食物となる自然は取れるだけ取ってしまい、あげく、希少価値になって値段が高く

なってかえって困っているのです。

 

この地球に生きる人間以外の動植物へ、どれほどの思いやりを私たち人間は持って

いるのでしょうか。 私たちのまわりに自然を破壊する人々がいることは見えるのですが、

残念ながら気がつけば自分自身 もその一人になっていることに気づかなければなりません。

 

このお婆さんのように自然の恵みに感謝し、小さな鳥の命を心配する人もちゃんとおられ、

私たちに教えていただけることが仏法相続、そのものではないかと思います。

 

どんな姿が人間らしい生き方なのか。

木守り柿とお婆さんに教えられた一日でした。

 

 

 

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