太陽に肉眼黒点
2025.5.5|/ 願立寺日記

太陽に肉眼で見える大きな黒点が出てます。・・と言ってもそのまま肉眼で眺めると目を痛めますから、必ず太陽観察専用の濃いサングラスを使って安全に見てください。昨年から今年あたりが太陽活動の活発な時期で時々、こんなのが現れます。

撮影:2025.5/5. 15:35

🌃星空ナウ(2025年5月)
2025.4.25|

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星空ナウ(20255)

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宵の空は、冬の星座は西に退き、南にしし座を先頭に、春の星座が見頃となってきました。北斗七星の柄のカーブを伸ばした先のアークトゥールスからスピカへ続く春の大曲線、併せて春の大三角などの星の並びを見つけてみましょう。

下旬には木星は西の空に見納めとなり、明け方の東の空には、明けの明星(金星)が輝き、土星が見えてきます。土星は環の傾きがなくなり環が見えなくなる珍しい時期です。ただし土星らしくなく寂しいと言われる方もあります。細い月が、23日には土星に、24日には金星に接近して美しい眺めです。7日の明け方を中心に、みずがめ座η(エータ)流星群が見られます。1時間あたり58個程度と数は多くありませんが、毎年確実に流星が見られる流星群です。

およそ80年の周期で爆発して2等星ほどに明るくなると予想されている「かんむり座の再帰新星T星」は昨年から特に変化なく、爆発の周期が延びているようです。最近では深夜に高くなり見やすくなってきました。増光時には2等星程になり、明るい時期は1週間ほどですのでチャンスは逃さないようにしたいものです。

0504日  上弦の月    (夕方南の中天に見える半月、欠けぎわにクレーター綺麗)

0505日  立夏(りっか)        (二十四節季・気温も上昇し、暦の上で夏が始まる頃)

0506日 みずがめ座η流星群(ハレー彗星が母天体の流星群、7日未明時間510)

0507日 土星の環消失②  (今年3回ある消失現象の2回目、明け方の東に低い)

0508日  ISSきぼう   (20:24南東に見え始め〜20:27南南東43°に消える)

0509日  ISSきぼう   (19:36南南西に見え始め〜南東33°19:42東北東に消える)

0510日  ISSきぼう   (20:23西に見え始め〜北西35°20:29北北東に消える)

0511日  ISSきぼう   (◎南西19:34見え始め〜天頂79°〜北東19:40消える)

0513日  ISSきぼう   (△西19:33見え始め〜北西24°19:38北北東に消える)

0513日 満月()               (日没時東におぼんのような月、夜空明るく星は見にくい)

0521日 小満(しょうまん)(二十四節気・気温が高くなり植物や虫たちが躍動する頃)

0520日 下弦の月    (未明に南に見える左半月、朝西空に白い残り月)

0527日 新月()              (月と太陽が見かけ重なる。闇夜になり星空の観察好機)

6月のトピックス 6/1金星西方最大離角(明け方東の空に金星が太陽から見かけ最も離れる)

7月のトピックス 7/31みずがめ座δ流星群(この頃未明みずがめ座中心に56)

ISSきぼう」国際宇宙ステーションは、大阪から見やすい夕方のチャンスのみ記載しました。現在、日本人宇宙飛行士として大西飛行士が船長として搭乗中です。今月は813日頃が見やすいチャンス。明るい星が音もなく移動していくように条件により35分間見えます。コツをつかめばスマホの静止画や動画で撮影可能です。・◎高度あり見え方絶好・まずまず・低く見ずらいが視界が地平まで開けた場所なら見えるかも。

また別に、スターリング衛星が打ち上げのタイミングで夕方よく見られているようです。23等星くらいの人工衛星が1020個・・と連なって行列飛行する様子は必見です。

星空の図:国立天文台HPより(大阪の夜空もほぼ同じです)火星等、惑星は星座間を動きます。

老人ホームと居場所
2025.4.16|法話・感話

境内のイチハツ。  この頃一気に咲き出します。アヤメ科の先鋒、一番手です。

老人ホームと居場所

昨今の家庭や社会の変化とともに、老後の暮らしをどう考えるかが大きな課題となってきました。持ち家の処分や老人ホームへの「住み替え」を検討する高齢者が増えています。経済的に余裕があっても「後悔しないように」と準備をされながらも、理想と現実の違いを耳にされるといいます。

〇〇さんは奥さんと二人暮らし、真面目に地道に暮らしてこられたので、貯えと年金もそこそこあって、たまには旅行など気ままに生活を送ってきました。ところが高齢者仲間入りをして先々のことが心配になってきたといいます。気の付く奥さんと相談して早くから「終の棲家になる良い老人ホーム」の情報を集め真剣に考えました。

あちこちと現地にも足を運び、最終的に自然環境にも恵まれた高級老人ホームへの入居を決断。入居一時金や、月額費用も高額でしたが快適な老後のため最後の投資かと納得したといいます。

選んだ施設は山や海に囲まれた静かな立地、ジムや図書室、談話室、温泉付き浴場も完備で腕自慢の料理長監修の食事。医療サポートも充実してつねに看護師が勤務し、いずれ介護が必要になったときは対応可能で「ここで良かった、安心だ」と思ったそうです。ところがそんな理想的な生活は長く続きませんでした。見えなかったのは「孤独」と「違和感」だったのです。

入居後しばらくは、理想的な生活が続きました。掃除や食事の支度からも解放され、整った環境でのんびりと過ごす日々。おいしい食事と快適な住空間に、ここを選んでよかったと思ったそうです。

ところが、ふたりはその生活に「空白」を感じ始めます。朝起きて、決まった時間に食事をとり、ロビーで過ごすか、それぞれの部屋で読書やテレビ鑑賞。気がつけば、毎日が単調でした。散歩も良いのですが見渡す限り、森と田畑が広がっているようなロケーション。環境はいいのですが、なにより刺激がなく毎日が単調で息苦しさを感じるようになったのです。また人間関係にも壁を感じる毎日でした。高級と名の付くホームですから、地元の顔役や医師、社長、談話室では自慢話の数々、違う地域から引っ越してきた○○夫妻にはついていけない、呆れるような内容ばかりで、自然と距離ができてしまったそうです。

「静かな環境は魅力的でしたが、それだけでは満たされないものがありました」と○○さんは話します。

自宅では近所づきあいや買い物先での立ち話など、ちょっとした人との交流、面倒ないざこざも含め、今から思えばそこに「日常」が存在していたのです。ホームでの生活が数か月を過ぎたころ、夫妻は再び話し合いを重ね、「このままここにいるのは違う」との結論に至ります。幸いだったのは、入居に際してすぐに自宅を処分していなかったことでした。奥さんの「しばらくは様子をみてから考えよう」とされたことが良かったのかもしれません。

ふたりは自宅に戻り、改めて「本当の自分たちの居場所」を考え直すことにしました。一度理想を追い求めてみたものの、実際に体験してみて、「本当に必要だったのはこれではなかった」と気づくケースも、今後さらに増えていくかもしれません。

寺報東光2025-5より

[参考資料]内閣府『高齢社会に関する意識調査』

「ありがとうの反対はあたりまえ」 永代経法話より

ありがとうの反対はあたりまえ

「ありがとう」は「有り難し」と書きます。

生まれてきた事、今生きている事、口から食べ物を食べられる事、身体を自由に動かせる事、ケガをしても治る事、また大切な家族がいる事、共に笑い合える事、時にケンカしながらもまた向き合える事、一歩引いてみると色んな人と出会える事、反対に一歩出てしまうと出逢いが失われる事、どんなに無理難題を自分に課せようが、朝には目が覚めてまた動き出せる事、そして必ずいのちを終え、仏の人生が始まること。

それら全てに「ありがとう」と頭が下がる時は、悲しいかな、それらひとつひとつの事が出来なくなったり、大切な方を失った時が多いのではないでしょうか。

「あたりまえの事など一つも無いぞ」と仏さまは教えます。そして、今実感出来なくてもいいから、常に「有難う」と口に出しておいて欲しいと願われています。  稲垣直来

◉スノーフレーク ヒガンバナ科の植物の1つ。和名はオオマツユキソウ、別名はスズランスイセン。

◯ご門徒Mさんの玄関先にて

永代経法話の言葉から
2025.4.7|願立寺日記

年行司・玉野政勇筆(葉書サイズ)

昼の座の法話のあと、稲垣先生の言葉の中からこころに響く一節を、味わいのある自身の筆でお書きくださいました。

早速、夜の座にお持ちくださり皆さんにご披露です。余りの早さにびっくりです。有難うございました。

永代経法要2025

永代経法要を勤めました。

今年は快晴で桜満開の時期と重なり、たくさんの皆さんに春爛漫、笑顔のご参詣何よりでした。

阿弥陀経のあと法話は、徳因寺住職・稲垣直来師にお越しいただき「浄土に生きる」をテーマにご法話をいただきました。お寺では「浄土」や「往生」という言葉を常々お話しをしていますが、世間的には誤って使われることが多く、一つひとつ丁寧に本来の正しい意味を説いてくださいました。

永代経時、山門前

法話をされる稲垣直来師

ご聴聞の皆さま

近くの公園、桜満開

子ども花まつり2025
2025.4.3|願立寺日記

子ども花まつり

43日午後2時〜恒例の花まつりをしました。近くの保育園から新年度年長さんや卒園された子たちも顔を見せてくれたり楽しく過ごしました。

お釈迦さまの誕生の事や子どものお勤め、手の合わせて方などのお話し。初めて本堂に入った子ども達は「仏さまが金ピカや!」と、目をキラキラさせていました。続いて教区から来ていただいた子ども会のリーダー、キッシーさんとアコさんにゲームや様々な遊びを工夫していただきました。特に今回は音楽に堪能な方で、ピアノのキーボードを持参され、子どもたちに曲名当てクイズなど次々と面白いゲームを組んでいただき子たちも食いついていました。トリはブットンくん登場で盛り上がりブットンくんじゃんけん、子たちの笑い声が響いていました。

ブットン君ジャンケンで

お釈迦さまの誕生仏に甘茶

みんなで記念写真(プライバシー保護の為ぼかし加工済)

🌌星空ナウ(2025年4月)
2025.3.29|/ 未分類

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星空ナウ(20254)

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寒さが緩み気軽に星空を眺められる時期になりますが、春の空は花粉が飛散し大陸からの黄砂の影響で晴れてもどことなくかすんで見え、星の観望に適した季節ではありません。夕方西に低くなったオリオン座もやっと三つ星が見える程度、月が昇っても「おぼろ月」状態で季節の移り変わりを感じます。天頂西にしし座、北よりに北斗七星はくっきりと見られますので、目印に北の方向をいつも教えてくれる北極星を探してみましょう。

およそ80年の周期で爆発して2等星ほどに明るくなると予想されている「かんむり座の再帰新星T星」は昨年から特に変化なく、爆発の周期が延びているようです。最近では深夜の東に高くなり見やすくなってきました。増光時には2等星程になり、明るい時期は1週間ほどですのでチャンスは逃さないようにしたいものです。

0404日  清明(せいめい)  (二十四節季・春風が吹き暖かくなり、天地が明るく清らかになる頃)

0405日  上弦の月    (夕方南の中天に見える半月、欠け側にクレーター綺麗)

0401日  ISSきぼう   (◎北西18:57見え始め〜天頂73°19:04南東消える)

0403日  ISSきぼう   (△18:57西に見え始め〜南西22°〜南19:02に消える)

0413日 満月()               (日没時東におぼんのような月、夜空明るく星は見にくい)

0420日 穀雨(こくう)       (二十四節季・穀物に恵みの雨がたっぷりと降りそそぐ頃)

0421日 下弦の月    (未明に南に見える左半月、朝西空に白い残り月)

0422日 こと座流星群極大(こと座中心に流れ星の多い夜、まれに流星雨がある)

0427日 金星が最大光輝 (明けの明星として明け方未明に輝き、白昼にも見える)

0428日 新月()              (月と太陽が見かけ重なる。闇夜になり星空の観察好機)

5月のトピックス 5/6みずがめ座η流星群(ハレー彗星が母天体の流星群)

         5/7 土星の環の消失②(環の傾きが無くなり見かけ環がみえなくなる)

6月のトピックス 6/1金星西方最大離角(明け方東の空に金星が太陽から最も離れる)

ISSきぼう」国際宇宙ステーションは、大阪から見やすい夕方のチャンスのみ記載しました。今月は13日頃が見やすいチャンス。明るい星が音もなく移動していくように条件により35分間見えます。コツをつかめばスマホの静止画や動画で撮影可能です。・◎高度あり見え方絶好・まずまず・低く見ずらいが視界が地平まで開けた場所なら見えるかも。

また別に、スターリング衛星が打ち上げのタイミングで夕方よく見られているようです。23等星くらいの人工衛星が1020個・・と連なって行列飛行する様子は必見です。

星空の図:国立天文台HPより(大阪の夜空もほぼ同じです)木星、火星等は星座間を動きます。

蓮如忌
2025.3.27|法話・感話

熱心なご門徒がお参りになり、蓮如忌のお勤めをしました。

蓮如さんのお話しと、上人が定められたお荘厳をテーマにお話ししました。

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蓮如上人(れんにょしょうにん)

室町時代の浄土真宗の僧。真宗大谷派第8代門首。(1415~1499)

本堂でご本尊に手を合わせるとき、正面は阿弥陀様、向かって右側には親鸞聖人の御絵像がかけられている。

向かって左側にかけられているのが蓮如上人。お内陣にかけられているくらいだから、浄土真宗にとってとても大切重要なお方であった。

 蓮如上人は本願寺の第八代御門首、随分昔の人になる。時代は室町時代。親鸞聖人が亡くなってから150年後に生まれられた。聖人直系のご子孫になる。

 今でこそ大きく立派な本願寺であるが、その頃の本願寺は、天台宗青蓮院傘下の一般末寺でしかなかった。どちらかと言えば、他宗や同じ浄土真宗の他派の勢いにおされ、

「さびさびとしてお参りになる方もいない」

というほどのさびしいお寺であったそうである。その本願寺を、一大教団に育て上げ、日本中に熱心な門信徒を排出するほどに大きくされたのが「蓮如上人」ということでである。多くの功績が後々までも語り継がれ、中興の祖とも呼ばれている。

 浄土真宗の教団を大きくするためにどんなことをされたのか。

まずあげられるのが「御文」による布教である。浄土真宗のお念仏の教えをお手紙として記されたもので、京都・大阪だけでなく、全国の門信徒たちに送られた。生涯をかけて三百通以上の御文が記された。

さらに名号本尊の授与があげられる。

「南無阿弥陀仏」や「帰命尽十方無碍光如来」といった名号を白紙に墨書し、門弟、信徒たちに次々と授与された。

ほかにも、正信偈和讃を朝夕のおつとめとして制定され、作法として後々に引き継がれたことが大きい。

「講」や「寄り合い」というグループを各地のお寺を中心に作り、村ごとのまとまりで布教をされたことなど、多くの功績が伝わっている。

 しかし、そうして門信徒を増やしていくことは多くの法敵を生むことになった。南都北嶺、奈良をはじめ高野山や比叡山などの旧仏教から迫害を受け、それこそ命がけの布教をされたのであった。

蓮如上人  願立寺蔵(蓮如忌資料2025.3/27)

 

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