法話・感話

秋彼岸に想う②「二河白道」
2019.9.23|法話・感話

 

旅人が西に向かって行くと突然火の河と水の河に出ます。火の河は南に広がり、

水の河は北に続いていると二河白道の喩えがあります。

 

最近の夏は猛暑続きでクーラー無しでは過ごせなくなりました。汗まみれで耳の近

くに蚊の羽音が聞こえるとちょっとしたことですが嫌なものです。また、

冬は冬で底冷えして風邪をひいたときの辛さは譬えようもありません。

子どもの頃、暖かさを取り合い兄弟で火鉢の良い所を取り合って喧嘩したものです。

まさに「貧愛水のごとし」でした。

そして旅人はその二つの河の中間に白い道を見つけると描かれています。

それが彼岸への道であろうということです。

 

善導大師は続いて「中間の白道四五寸というのは、衆生の貧愛・慎憎の中に

清浄願心を発すに喩えている」と説明されています。「貧愛・慎憎の中に」

とはまさにその通りだと思うのです。春の彼岸の時は、これまでは「やっと

寒い冬が終わった」と思っていましたが、そうでなくて、「これからあの

嫌な暑い暑い夏がやってくる」その中で私はどう生きるのか?と。その中に

身を置いて考えるときではないでしょうか。秋の彼岸もまったく同じことです。

 

私たちの人生は楽しいことばかりではありません。人はいろいろな悩みや苦しみを

持って生きています。でも、人は苦しみや悲しみから逃げて幸せになるのでなく、

苦しみや悲しみの中に救われていく道があることを示してくださっているのです。

 

我々は年々、齢を重ねてゆきます。一歳一歳、齢を重ねるごとに体調に問題が

おきてきます。膝が、腰が痛い、目がかすむ、物忘れが・・・と。よく考えれば、

あたりまえの事なのに若い頃はもっとしゃきしゃきできたのに、と元気な時と比べて

愚痴を言ってしまいます。それを悲しみ苦しみにしてしまうか、白い道は細いけど

しっかり歩みを進めるのか。

「今こそ救われる時なのだ」ということを心に留めて生きて行きたいものです。

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