流行り病の御文
親鸞さんや蓮如さんの時代にも度々伝染病が流行って多く民が亡くなり京都の鴨川川原に亡骸が
うず高く積まれ腐臭が辺り一面に漂ったと記録されているほどです。
私たち太田の地でも法名帳などを見ていると戦後の一時期、赤痢やチフスが流行してひと時に
たくさん亡くなったことが伺える記録が残されています。今は移転した市民病院に古い円形病棟が
あって感染症の隔離病棟であったと聞いたことがあります。
蓮如さんの御文の中に「疫癘の御文」というのがあり意訳してみました。
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近ごろ、たいそう沢山の人びとが流行り病にかかって亡くなっているようです。しかし、これは
決して流行り病が原因で亡くなったのではなく、生まれた時から定まっている寿命のご縁が切れた
のだと仏教ではとらえるのです。
それほど驚くべきことではない。生死は当たり前のことと心得ましょう。
とは言うものの、この様なときに近しい方が亡くなると、きっと流行り病によって亡くなったんだ
と人は思うもので、これも人として当然のこと、もっともなことであるとも思います。
そのことから、阿弥陀如来は「末代の凡夫、罪業の私たち、罪がどれほど深くとも、我を一心に
たのむ衆生を、必ず救うぞ。」と仰せられたのです。こういう希望のもてない時期に遭遇した者
は、阿弥陀如来の恵みで明るい世界に向かおうと願い、阿弥陀如来の働きを疑う心を持つべき
ではない。心からうなずけたら朝晩に称える「南無阿弥陀仏」というお念仏は、「ありがとう」と
感謝する言葉にほかならない。
これがすなわち祈願やお願いの念仏でなく、「仏恩報謝の念仏」というのです。
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生まれた時から定まっていたとはいえ、別れはつらいものです。新型コロナが広がったこの時期
にも葬儀が数件ありました。葬儀は通常行事のように中止や延期という訳にはまいりません。
可能な限り三密を避け、マスクや常時消毒するなど、慎重に執行させて頂きました。
政府、知事からの緊急事態宣言も少しづつ解除の方向も見えてきました。
あと少しの辛抱です。
出かける機会は最少にして、どうか体調に気を付けて穏やかな一日をお過ごし下さい。