願立寺日記
日々刻々
世の中は、日々刻々と移り変わっていきます。とにかく早いですね。同じとき、同じ事柄など何一つありません。諸行無常の世界といわれる所以です。
仏教ではものごとは全て縁によって起こり、縁によって滅していくのだと教えます。今此処に、縁によって成り立っている私も、私の心も瞬時に変化し続けているのです。
しかし、その変化し続ける縁を、そのまま事実と受け取ることほど難しいことはありません。人は煩悩を具足するがゆえに、意に添わなければ、怒り・腹立ち・嫉み・妬むという我が心の絵具で描いた地図の中で迷い続けるのです。そして結果は、他を傷つけ、時には我が身も傷つけ、帰り道を見失ってしまうのでしょう。
そんな私に如来は、彼岸の浄土を帰る場所と教え、念仏の一道を帰り道と与えてくださるのです。
※出典参考:「いのちのことばⅡ」
願立寺巡拝バスツアー2023 (加古川教信寺〜小野浄土寺へ)
2023.2.7|願立寺日記
寒波来襲
2023.1.26|願立寺日記
全国的に寒波襲来、10年に一度とか。
京都・奈良・和歌山・兵庫とまわりは積雪で電車が止まるなど大変ですが、
ここ河内は雪なし、さすがに連日の氷点下で境内の石鉢にバシバシの氷が張りました。
◎明日27日はお逮夜法座、13:30〜、どなた様もお参りください。
お寺の鐘
もともとお寺の鐘は、法要の集会の合図として撞かれるとともに、時を知らせるためでもありました。時計が無かった時代に、時刻を知る一つの手段でもあったのです。特に夜明けと日没を知らせてくれるものとして、撞く時刻は夜明けと夕暮れ頃だったようです。畑仕事をしている人々が多かった時代には、欠かせない知らせだったのでしょう。現在の時刻ではおよそ朝夕六時頃となります。
真宗本廟(東本願寺)では朝のお勤め(晨朝)の合図として十一回撞かれています。また、報恩講ではお勤めの始まる一時間前にも撞かれます。参詣の皆さんにもうすぐお勤めが始まりますよとの声かけだった訳です。
大きさは様々ですが、「梵鐘」と呼ばれる大きなものは、境内にある鐘楼堂や鐘楼門に吊下げ、撞木という木製の太い棒で撞き鳴らします。
私たちの願立寺には梵鐘はありませんが境内の角に太鼓楼があって、大きな太鼓がその代わりをしております。秋の報恩講や春の永代経法要のお勤めの一時間前に、五つ・打上打ち下げ・三つのリズムで太鼓を打ちます。皆さんが着席された頃、勤行五分前に「喚鐘」を同じく五三のリズムで撞きます。喚鐘は梵鐘と比べると小ぶりな鐘ですが法要行事の始まり等を知らせる大切な鐘です。
梵鐘のないお寺もあります。それは第二次世界大戦時に出された「金属類回収令」の影響がありました。当時、軍需生産原料として必要な金属を集めるため、お寺の鐘や仏具をはじめ、家庭の鍋や釜にいたるまで供出されたと聞きます。また、昨今住宅密集地では大晦日の梵鐘の音も騒音とされ、苦情により昼に撞かれている所もあるようです。現代社会の生活事情が表れているようです。なんともはや。
※出典参考「仏教・仏事のはてな?」東本願寺
冬至に柚子風呂
2022.12.22|願立寺日記
12月22日、今日は冬至で年中でいちばん日が短い日。この辺りでは4時51分に日没です。
坊守さんが柚子を買ってきてお風呂に浮べました。柚子の木があっていっぱい獲れたら
たくさん浮かべるのでしょうが、一個の柚子で鼻に抜ける柚子の香りが広がりました。
冬至を過ぎるということは、これから日が長くなるということですね。
皆既月食&天王星食、バッチリ見えました!
皆既月食は天候に恵まれ、部分食の欠け始めから皆既も含め終了まで見ることができました。事前のテレビなどでは天王星の食と併せたことで「何百年ぶり」とかの報道もあって、手に負えなくなってはと積極的な観望会は予定していませんでしたが、ご門徒やご近所さんがそれとなく集まってミニ観望会になりました。6等星の天王星の食は肉眼では難しく、あまり期待はしていなかったのですが、双眼鏡や望遠鏡では部分食が進むにつれハッキリと見えだしました。特に皆既中の月の赤銅色と天王星の青さが際立って、いつもの月食にない良いスパイスになったようです。皆さんきれいに見えたと喜んでおられました。
赤銅色が特徴の皆既中の月、月のすぐ下に見えるやや青っぽい小さな星が隠される前の天王星です。
くっついた天王星、間もなく月に隠される直前です。(スマホ+望遠鏡、ダイヤゴナルプリズム使用で裏像、撮影:坊守)
皆既が終わり、光が戻り始めました。天王星は月に隠されて見えません。
皆既月食ミニ観望会、好天に恵まれ観察成功を皆さんと喜びました。
キトラ古墳、天文図公開
キトラ古墳、天文図公開
奈良県明日香村のキトラ古墳壁画体験館でキトラ古墳石室天井に描かれた天文図が特別公開されているということで見学会に参加してきました。
高松塚古墳の極彩色の女官図が1972年に発掘された後、暫くして近くのキトラ古墳の石室にも見事な四神の壁画が確認され古代史ブームになりました。特に石室天井の天文図には一天文ファンとしてとてもワクワクしたものです。劣化防止のため壁画表面を剥がし特別に処理された天文図の現物を拝見しました。
天文図では、北斗七星や北極星、オリオン座やサソリ座などが見られ、スバル、ヒヤデス、などの星団もよく判別できました。何より7〜8世紀の肉眼天文学の時代の星図に赤道、黄道が正確に描かれていることや、金星や木星などの明るい惑星の記載がなく恒星と惑星がきちんと区別されていたことに驚きました。古墳自体が約3mの円墳で石室狭さ、天文図も直径60cmほどで非常にコンパクトに作られ、真っ暗な石室の天井に金箔で星を押した様は、まさに古代のプラネタリウムだったようです。
駐車場から見る左奥がキトラ古墳壁画体験館、右手の林の横が古墳本体
常設展示の石室、正面に玄武、天井に天文図(同尺模型)
キトラ古墳本体・直径約3mの比較的小型の円墳・発見前は樹木生茂る小高い林だった
11月8日は皆既月食と天王星食
◎皆既月食
11月8日の夕べに皆既月食が起こります。この月食は、大阪ではもちろん日本全国で見ることができます。多くの地域で月の高度がある程度高くなる時間帯に皆既食となりますから、とても観察しやすいでしょう。満月は、18時9分から欠け始め、19時16分に皆既食となります。皆既となった月は、「赤銅色(しゃくどういろ)」と呼ばれる、赤黒い皆既食特有の神秘的な色に見えます。皆既食は86分間続いて20時42分に終わり、その後は徐々に月は地球の影から抜けて、21時49分に部分食が終わります。
◎天王星食(月食中に起こる)
また、とても珍しい現象ですが月食の最中に、月が天王星を隠す「天王星食」が起こります。天王星は約6等星の明るさで、薄い青色に見えます。肉眼で見える限界の明るさですから、双眼鏡や望遠鏡などを使って探してみると見つけることができます。いつもの満月のすぐ近くであれば、満月の明るさに負けてしまいますが、天王星の潜入時に月が皆既食中で暗いため、赤銅の月の左下の縁にくっつくように青色の天王星が見つかるでしょう。大阪でのプツと消える潜入は20時32分、月から出てくる出現は21時21分と計算されています。
※国立天文台HPより(大阪でもほとんど同じです)
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