願立寺日記
子ども花まつり2024
子ども花まつり2024
お釈迦さまのご誕生をお祝いして毎年この時期に「子ども花まつり」をしています。
近くの子ども達や保育園の子どもたちがたくさん来てくれ、賑やかに開催することができました。
ごあいさつに続いて、子ども正信偈のお勤め。保育園の年長さんには少し難しいですが
何とかついてきてくれました。お釈迦さまの話しのあとは、ブットンくんの登場です。
みんなで元気に「ブットンくん〜ー」と呼んだらふすまの隙間から顔を出してくれました。
あとはブットンくんとジャンケンゲームなどをして遊び、久しぶりに子ども達の元気な
声で本堂がいっぱいになりました。
最後にお釈迦さまに甘茶を注いで、手を合わせて「まんまんちゃん!」おみやげにしおりや
お菓子をいただき皆さんニコニコでした。 (4月5日午後2〜3時過ぎまで)
第二回インド仏跡参拝記④
第二回インド仏跡参拝記④
ネパール
ルンビニの空港からネパールへのフライトは大変でした。ホテルで朝食を済ませたあと空港が濃霧の為、閉鎖中との知らせがあり回復の目途がたたないらしい。搭乗予定の飛行機が来ないので回復を待つしかないといいます。結局は昼頃になって回復し半日遅れで出発できたのですが、霧が晴れなかったら、十時間以上の長距離バス移動を余儀なくされるところでした。しかも山岳未舗装のデコボコ道だったとか。一同ホットしたものです。
ネパールはインドと比べて空気も澄んでゴミも少なく綺麗な印象でした。人口も少なく街がコンパクトだからかもしれません。また、教育熱心なようで学校もよく整備されており学生さんもキチンと制服をきて通学していました。表情も日本人に近く親近感をもちました。
ネパール、カトマンズ市内
エベレスト遊覧飛行
「一度は世界一の山を見てみたい!」という思いを実現させるためツアーの最終に遊覧飛行を計画しました。三回挑戦したものの天候不良でダメだった方もあるとか、今回は幸運にも一発勝負で成功でした。中型の航空機に窓際のみ搭乗で一人、一つの窓が与えられじっくりヒマラヤの山々と最後にエベレストを観覧することができました。ただ、もっと接近して目の当たりにしたかったのですが安全基準が厳しいのか、かなり遠望だったのが残念だったところです。七~八千メートル級の山々が連なるヒマラヤの雪山が次々に現れやがて世界一の横綱エベレストが登場するあたりは見応え充分でした。
7000〜8000m級のヒマラヤの連峰が続く
ヒマラヤの雪山からエベレストを望む
カトマンズ本願寺
カトマンズに浄土真宗のお寺があり旅の終わりにお参りしました。交通事故で全身不随となった故向坊弘道氏によって建立された寺院で、地域の仏教ソナム氏との出遭い、念仏の教えに帰依され2007年に本願寺派から正式に本願寺の名称使用が許可されたという。目立たない建物の中は立派な真宗寺院でした。当日お勤めや法話をされた僧侶は、京都の西本願寺で勉強され日本語も堪能な現地の女性で「久しぶりに本場のお勤めを思い出しました」と笑顔で語っておられました。
バスの渋滞、航空機のトラブル、インドには珍しい寒さなど幾つかのトラブルはありましたが、念願の釈尊誕生や、涅槃の地、エベレスト遊覧の日程を無事終え帰途につきました。
お勤めと法話をされた女性僧侶
カトマンズ本願寺でのお勤め
紅梅開花2024
2024.3.9|願立寺日記
今年も紅梅が咲き始めました。
★彼岸会
3月20日午後2時から
お誘い合わせてお参りください。
「カイロス」ロケット打ち上げ、大阪から見えるかも?
3月9日11:00〜、串本の民間ロケット発射場から第一号のロケット「カイロス」が打ち上げられるようです。
条件が整えば大阪からも打ち上げの軌跡が見られそうですので是非挑戦してみてください。
地平まで快晴が最低条件、真南からほんの少し左の位置を画像のように上昇します。
以下、想定図です。
白い噴射の煙軌跡が肉眼でも見えると思われますが、双眼鏡があればよりハッキリとするでしょう。
■打ち上げ直前に日程延期になりました。ひとまず残念!(追記11:20)
◾️3/13に延期、11:01点火されましたが数秒後爆発炎上、打ち上げ失敗です。本当に残念‼️(追記3/13 11:15)難しいものですね。
画像出典:「ブログ・ロケッこがゆく」より
第二回インド仏跡巡拝記③ ルンビニへ
ルンビニ
釈尊涅槃の地クシナガラを巡拝したあと、私たちは釈尊の誕生地であるルンビニを訪れました。この聖地への旅は、シッダールタ太子がこの世に生を受けた処に触れることができる、まさに特別な体験でした。入場への長い通路には近くの林に住む、人馴れしたお猿さんが迎えてくれ餌をねだっていました。霧に包まれたルンビニ園は、世界から多くの巡礼者が参拝され、仏教的にも歴史的にも重要性を物語っている聖地となっていることを感じました。アショカ王の柱と碑文、古くから伝わる古代の遺跡を順に巡りながら、釈尊の教えの源に触れることができました。インド仏跡巡拝記を綴る上で、ルンビニへの旅は同行の皆さんに心に深い印象を残したようです。
ルンビニ園へ 通路に次々とお猿さんが
ルンビニ園 建物の右の柱がアショカ王柱 ガイドさんの解説を聞く
インド仏跡巡拝記② クシナガラから舎衛城・祇園精舎へ
第二回インド仏跡巡拝記②
クシナガラ・涅槃堂
広い敷地の中に涅槃堂があり、周辺を白い行者服を着た巡礼の人々が長い行列をくんで参拝されていました。堂内には大きな涅槃佛が安置され、熱心な仏教徒の方々が取り囲み、ある人はしゃがみ込みお経を称えておられました。私たちも立ち止まり合掌致しました。
祇園精舎・舎衛城
仏説阿弥陀経の始めに書かれている祇園精舎は霧に囲まれていました。お経には「千二百五〇人と倶なりき」と記されている釈尊説法の中心の場所で、小高くなったレンガ跡があり他国の巡拝者の後、同行の皆さんと登壇し皆でお経を勤めをしました。前回の霊鷲山での勤行と同じく、嘗てここでお釈迦様が阿難さんがそして舎利弗さん等が・・歩いておられたのかと想うと感無量の思いがありました。周辺一帯は発掘調査が進んで公園のように美しく整備されていました。
第2回インド仏跡巡拝記①
第二回インド仏跡巡拝記①
今回は、2024年1月20~27日の日程。前回訪れることができなかった釈尊の涅槃の地クシナガラと誕生地として有名なルンビニーの地を巡拝してきました。参加者はご門徒や住職を含め13名の参加でした。
関空から香港で乗継し、インドのデリーに深夜到着。外に出ると薄ら寒く日本の晩秋から初冬の雰囲気で霧か煙霧が濃く、晴れているのに夜空には月がぼんやり見える状態でした。
翌日、デリーから東北部の地方都市パドマに移動。前回はここから南下して王舎城へ向かった場所ですが今回は北へバス移動、ガンジス河を渡りクシナガラへと向かいました。道中バスの車窓からのインドの風景はあふれるような単車と車の洪水、街の喧騒、人々の生活感満載のまさしく「これがインド」の一言で紹介されるインドが変わらずそこにありました。
特に今回訪れた地域はインドの地方都市でいわば田舎です。道路がすべて生活道路で、道沿いには粗末なレンガ作りトタン屋根の家が延々と続き、家の前では焚火で暖をとりながら牛や羊と一緒に子どもたちが屈託なく遊んでいました。都会では一握りの大富豪がピカピカの生活をする反面、8~9割の大多数の人々が地方で貧しい暮らしを強いられている世相は2500年前の釈尊の時代から変わっていないような印象を持ちました。
今年の初星見 オリオン大星雲
オリオン大星雲 撮影:2024.1/2 22:28 八尾の自坊にて
今年の初星見にオリオンの大星雲を撮りました。大晦日は時雨空でしたが元旦から回復し、二日の今日は暖かく穏やかな快晴となり久しぶりの星見です。大阪の光害の夜空ですから肉眼では2等星ぐらいしか見えないのですが、最近はデジタルと画像処理の技術が進んで、こんな天体写真が簡単に撮影できる時代になっています。驚きです。
天界はこの様に粛々と常時の如く刻が流れていますが、地上界は大変な災害、事故が新年早々に続きました。
1月1日元日午後4時過ぎ、最大震度7の能登地震が発生、大津波も日本海側に押し寄せ石川、富山を中心に大きな被害が出たと思いきや、さらに翌日の2日午後6時前、羽田空港で379名搭乗の日航機が着陸時、震災救護に出動の海上保安庁の航空機と衝突大炎上の大きな航空機事故が発生しました。残念ながらお亡くなりになられた皆様方に哀悼の意を表したいと思います。日航機の搭乗者全員が炎上前に脱出されたことがせめてもの救いです。これはまさに奇跡的、日航のスタッフさんお見事です!
正月早々の大災害と大事故の連続、こんな事は初めてではないでしょうか。
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