願立寺日記

共命鳥の話

阿弥陀経に説かれている浄土には六種の鳥が描かれていて、

それぞれ仏様のはたらきを表していると言います。その中に共命(ぐみょう)の鳥がいます。

お寺の内陣や家庭の内仏の彫物にも見かけることもありますが、

特徴は一つの胴体に二つの頭という浄土の空に舞う架空の鳥です。

 

色々な説がある中で、浄土に生まれるまえの前世で二つの頭はとても仲が悪かったと

言われています。

片方の頭がこちらに行こうと言っても、もう一方の頭はいやこっちに行きたいと。

食べたいものも正反対。もっと遊びたいと言っても、片方は早く帰りたいという。

身体が別々の兄弟であれば好きなようにできますが、身体が一つですから

いつも喧嘩になってしまいます。

 

やがて喧嘩が高じて頭にきた片方の頭が、もう一方の頭に毒の実を食べさせたのです。

ところが身はひとつ、自分にまで毒がまわりはじめて両方とも命を落とす羽目になったのです。

ただ、命を落とす寸前、毒を食べさせた頭が命の大切さにはたと気付いて懺悔したと言います。

 

「今まで喧嘩ばかりしてきたものの、何とか元気に過ごせたのもあなたがいてくれたからだった」

「私の命は二人の身体の上にあったのだ」と。

 

私たちの世界でもよくある話ですね。

子どもの時は仲良しで人気絶大だった兄弟も勝負に主張が対立して仲違い、

結局、全てを失ったこともありました。

生前、喧嘩ばかりしていた爺ちゃん婆ちゃんが、一方が亡くなったとたん、

その大切さに気づいて涙することもよく聞く話です。

 

決して人ごとではありません。わたくしごとなのです。

良いこと悪いことと一言で片付けないで、全てを仏さまの説法として受け止めたいものです。

小野の浄土寺
2020.11.20|願立寺日記

 

小野市にある極楽山浄土寺を訪れました。

最近テレビ番組でも報道され、夕方の西陽が堂内に導かれ阿弥陀三尊の

荘厳が見事だと紹介されていたのでチャンスがあればと思っていました。

 

今夕は残念ながら雲が厚くて夕日の阿弥陀様を拝顔することは出来なかったものの、

国宝の浄土堂(阿弥陀堂)に入ったとたん、堂中央に安置される見事な阿弥陀様に圧倒されました。

観音、勢至の菩薩を左右に5メートルを越す仏様は正に大仏でした。快慶仏師の傑作。

浄土堂(阿弥陀堂)の直線状の屋根勾配が往時を偲んでいました。

 

阿弥陀三尊のおられる国宝浄土堂(阿弥陀堂)

 

浄土堂内の阿弥陀三尊 (出典:入場栞より)

 

鐘楼堂と拝殿

 

境内は広く静かで、開山堂、本堂(薬師堂)、経蔵等が中央の池の周りに配置されていました。

野口さんの搭乗する宇宙ステーション、見えました!
2020.11.18|/ 願立寺日記

先ほど18:20頃、野口宇宙飛行士の乗る宇宙ステーションISSが見えました。

お寺の境内からは太鼓楼の上、南南西の空に見え出し、左上方にグングン移動、写真の右端にある

木星ぐらいの明るさでしたが上に上がるにつれ金星ぐらいの明るさに輝いていました。

東の空に移るころに急に暗くなって見えなくなったのは地球の影に入ったのでしょう。

野口さんは一昨日の民間初のロケット打ち上げで無事成功。昨日、宇宙ステーションに移乗されての

状況ですから日本の夜景を宇宙から見られて手を振っておられることでしょう。

 

見え始めたISS。中央の白い軌跡  (右下のギリギリの星が木星)

 

グングン上昇、明るく輝く!(露出はいずれも10秒)

 

地球の影へ、スーーッと消えていきました。(下の赤い星は火星)

 

本堂横に細い月
2020.11.17|/ 願立寺日記

夕方6時過ぎ、本堂横に細い月が見えていました。

中々美しいので慌ててカメラを取り出しシャッターを切りました。

新月から二日目、月齢2の月です。

 

明日のこの時間に、野口宇宙飛行士が搭乗した宇宙ステーションが見えるそうです。

夕方6時15分頃、南西に見え始め左手に、天頂近くで地球の影に入って

見えなくなるまで数分間。金星なみの明るさだそうです。

 

 

 

報恩講2020 コロナ禍での執行
2020.10.17|願立寺日記

報恩講2020が勤まりました。

 

コロナ禍の中で開催を思案しましたが

世間で言われている「三密」の感染予防に注意して実施しました。

 

検温、手の消毒、座席を開けて、窓をあけて風を通し、

参詣のみなさんにはマスク着用をお願いしました。

もちろん先生にも講師特製のマスクシールドです。

 

講師は正行寺前住職の當麻秀圓師

今年は「 弥陀の名号稱えつつ  信心まことにうるひとは 」を講題に

短縮二座の法話を聴聞させていただきました。

お念仏の本当の意味 「コペルニクス的転回!」でした。

 

火星が準大接近
2020.10.6|/ 願立寺日記

準大接近の火星スケッチ

 

火星が接近してとても明るく見えています。

日が沈んで東の空に、不気味なくらい赤く明るく見えています。

地球には2年2ヶ月ごとに近づくのですが前回が大接近、今回は

それに次ぐ準大接近ということで望遠鏡で見ると肉眼で見る月の

ような感じで表面の模様も見えてきます。

 

画像は最接近の今夜に口径20cmの反射望遠鏡、228倍で眺めて

スケッチしたものです。

上に白く点のように南極冠が見え、左に薄暗い模様が確認できました。

右下がオレンジ色に輝いて最も明るい部分でした。地球と同じぐらい

の速さで自転しているので、時間とともに模様が側面から後ろに

回り込んでいくのもよくわかりました。

 

火星は砂漠のような表面に見えますが、近年の探査機の観測から

水の流れや大規模な土砂崩れのあと等が次々と見つかり、かつては

雨が降り、地球と同じような広い海に覆われていた事が

分かってきました。

 

現在の地球温暖化と呼ばれる私たちの住む星の環境についても

いよいよ、火星を鏡にしなければならない時期になってきたようです。

中秋の名月2020
2020.10.1|/ 願立寺日記

 

雲一つない快晴の夕空に名月が昇ってきました。

これほどの条件に恵まれることは珍しいことです。

 

月の模様は昔から色々な喩えが伝わります。

有名なのが、ウサギの餅つき。大きなハサミのカニ。本を読むお婆さん。

パーマをかけた女性の横顔など・・・

想像がたくましくなります。

 

写真にススキの穂が入るとベストですが、今夜はこれにて。

コロナ禍が続きますが、たまには月でも見ながらホッとしないと。

撮影18:46

 

樹木の剪定
2020.10.1|願立寺日記

 

境内の植木の剪定に入って頂きました。

例年は9月の中旬でしたが、今年は酷暑で厳しい日が続いたので今日になりました。

急に涼しくなって、気持ちよく作業されていたようです。

枝の刈り取りが進むと青空が広くなり、辺りが明るくなった気がします。

10/1 中秋の名月
2020.9.28|/ 願立寺日記

 

10月1日は中秋の名月のお月見の夜。よく名月は満月と思われますが正確な満月は翌日の

2日。ですから中秋の名月が東の空に昇ってきたのを、よく見ると左下がほんの少し

欠けているのがわかります。

 

お月見は、旧暦8月15日から16日の夜と、日本では旧暦9月13日から14日の夜にも行われ

ます。そのため、お月見で単に「十五夜」、「十三夜」という場合、これらの夜を意味す

ることになります。

月を愛でる慣習は古くからあったようです。日本では縄文時代にさかのぼります。

名月の日に月を鑑賞する風習の始まりは、中国の唐代の頃からということしか分かって

いません。宋代には身分に関わらず街を挙げて夜通し騒ぐ様子が記録されています。

この風習が貞観年間(859-877)の頃、日本の貴族社会に入ってきたといいます。

日本の平安時代の月見は徐々に規模が大きくなり、延喜19年(919)には法皇が日本独自の

十三夜の月見を催されています。当時の日本での月見は詩歌や管弦を楽しみつつお酒を酌み

かわすといった雅味な催しで庶民とは縁のないもだったのでしょう。この頃のお月見は中国、

日本とも宗教的な要素はあまりなく、ただ月を眺めつつ楽しんでいたと考えられるようです。

 

暑い酷暑の夏が終わり、急に涼しくなってきました。お彼岸も過ぎ日に日に夕暮れが早く

なってきています。中秋の名月、月見団子とススキの穂を準備して東の空に昇ってくる

まん丸いお月さまを楽しんで見られてはいかがですか。

 

ps;月の近くに赤く輝く明るい星は、まもなく地球に最接近する「火星」です。

お風呂のはなし

 

お参りでお風呂の話になりました

今は便利になりましたけど

昔のお風呂は嬉しいもんやった

 

風呂みたいなもん、一般のうちにはありまへん

母屋のお風呂を時々貰いにいきまんねん

水も井戸から汲んだりして貴重なもんやさかい

2~30センチぐらいしかないときもあった

夏は行水が当たり前ですわ

 

おっちゃんが、

「今日はお湯が仰山あるからゆっくり入っていきや」

と声を掛けてくれる

「お先に貰います」

「加減どうや」「薪一本足しとくで」

「ええ湯です」

「お先に戴きました。おおきに」

「またはいりにきいや」

 

これがいつものお風呂もらいの夕べでした。

けど、この頃の風呂はボタン一つ押したら全自動

 

ピーン

「お湯はりをします」

・・・・

「まもなくお風呂がわきます」

暫くすると 

「お風呂が湧きました」と機械の声

 

焚きすぎもなく、ぬるくもなく、適温です。

お湯の量も測ったみたいにキッチリとしてくれまっけど

 

なんや淋しまんな、ほんまに。

教信沙弥の教信寺へ
2020.9.18|願立寺日記

加古川にある教信さんの由緒寺、教信寺(現在は天台宗)にお詣りしてきました。

加古川バイパス加古川東で降りて国道2号線を西に少し走ると  交差に教信寺の案内看板があり

北に100m程行くと正面に立派な山門がが見えてきます。

 

教信さんは平安末期、奈良の興福寺で仏法を学ぶも、やがて加古川で地域密着の念仏三昧の

布教をおこなった念仏者である。

清貧で小さな庵をこの地に結び、田畑を耕し池を掘り、旅の人びとの荷物を運んだりしながら

常にお念仏の声が聞こえた上人であったと伝わっている。

 

自身が亡くなれば亡骸は付近に打捨て鳥や動物の餌にするように~と伝え、実際にそうされたと

いう。開山堂の本尊はその残った首を形どったものとの説明がなされていた。

この事は後に一遍上人や親鸞聖人に色濃く影響が伝わり、「某の遺骸は加茂川に打捨て魚に

与えるように」との親鸞聖人の有名な言葉となっている。

 

山門

 

本堂       境内は広く様々な伽藍が整い手入れも行き届いている。

 

開山堂    周辺に桜が多く春には見事なことだろう。

 

教信沙弥の墓所

しっかり婆さんボケません

月一度の月忌参りで、いつも楽しくお話しします。

お婆さん、時には誰とも話しをしない日もあるそうで、

私とのお話を待っておられるぐらいです。

 

しっかりお婆さんは良く片付いた簡素な住まいにひとり暮らしです。

お爺さんは既に逝かれて、朝夕お内仏に手を合わせる毎日。

息子さんらは既に家庭を持ち、独立して別に生活。

何にも文句も言わず、ニコニコ暮らしています。

 

この方の特徴は

愉快に過ごされ、何事も楽しむ精神をお持ち。

毎日の生活に変わらないルーチンがある。

寝る前に日記を書き、一日の出来事を思い出す。

テレビも見るが、文庫本を何冊も読まれる。

中年期に大きなご病気もあったが今は治った。

耳が良く聞こえ、目もよく見える。

買い物は息子や嫁にして貰うが、食事、そうじ、洗濯は自立。

朝夕の声にだしての正信偈お勤め。

 

既に超高齢の域、五感をしっかり使い居場所のある

この婆さんはボケるはずがありません。

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