願立寺日記
おみがき奉仕2025
2025.10.7|願立寺日記
10月7日の午後7時から、年行司の方々にお集まりいただき、内陣の仏具のおみがき奉仕をお願いしました。
鶴亀や華瓶、輪灯などのたくさんの真鍮仏具を専用の磨き液を使って1時間余り、懸命に磨き上げてくださいました。お陰様でピカピカに仕上げていただき、間もなくの報恩講をお迎えする事ができます。
ご苦労をおかけしました。お礼を申します。
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熱心に磨いて頂く年行司の皆さん
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この通りピカピカになりました!
お疲れ様でした。✨
報恩講2025
2025.10.7|願立寺日記
報恩講は10/16〜17
2025.9.28|願立寺日記
暑く長かった夏もお彼岸の声とともに一気に秋めいてきました。ほんとにやっとです。高温が続いた影響か、いつもはきちんとこの時期に咲く彼岸花がやっと咲きました。
白色のが昨日から、赤の彼岸花はまだ蕾が膨らんだ状態です。
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報恩講
10月16日午後2時と午後7時と10月17日午後2時〜 お勤め致します。
法話、昼:光徳寺住職 松谷泰明師、夜は御絵伝法話として満誓寺住職 竹林真悟師を予定しております。お誘い合わせてお参りください。
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猛暑続く、お墓参りは熱中症にご注意!
2025.8.22|願立寺日記
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立秋を過ぎても長く暑い夏が続きます。
月参りでご門徒の奥さんに「この前、墓参りで熱中症になりましたわ!」とのこと。「日中、暑かったものの一人で墓参りに行ったら、墓石前で汗がびっくりするほど出て、お線香に火を付けようとしたら手がプルプル震えて火がつかんようになってしまいました」「こらアカン熱中症や!」とピンときたものの足腰がふらふら、このままにしてたら死んでまうと思われたとか。「途中ヨタヨタしながらなんとか帰って腋や足に保冷剤、あとシャワーしてクーラー利かして安静にしてたら落ち着きました」と。でもそのあと2〜3日は体調がおかしかったようです。
皆さんもこの猛暑、自分は大丈夫と過信してはダメのようです。年齢も関係ないし墓参りは複数でともいわれています。この度は軽症で良かったものの、無理をせず小まめに水分をとって熱中症にはご注意を!
吉野のお寺「實原寺」で星空を見る集い
8月19日夕べ、吉野のお寺で子たちを集めて本堂で一泊のサマースクールがあり、催しの一つ天体観測のお手伝いに行ってきました。
51人の小中の子たちの熱気に負けそうでした。本堂でひと通り今夜の星空の話をしたあと、近くのグランドに移動、快晴の天の川の見える抜群の星空での星探しは、天然のプラネタリウムでした。夏の大三角からモクモクとした天の川、南のアンタレスの輝くさそり座、北を巡ると北斗の星とカシオペアそして北極星、望遠鏡で環の消失前の土星もくっきり東の空、串刺しのお団子に歓声があがっていました。
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サマースクールへ
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實原寺さんの本堂は子たちでいっぱい
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的あてやボ━リング
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夏の夕べ、今夜は快晴になりました。
生還せる特務曹長「鷲 康勝」
願立寺の元住職 鷲 康勝(1873〜1951)(現住職の祖父)の日露戦争従軍時の笑うに笑えないエピソードを坪内祐三著「探訪記者・松崎天民」より抜書きしたもので、明治当時の世情や河内太田の村人の様子が記事となっている。
考えてみれば、やはり戦争は様々に真実を遠ざけるようである。
(誌面の都合で一部現代文へ書き換え、省略等あり、ご容赦ください)
この話は8月15日の、盂蘭盆会・戦没者追弔会に紹介する予定。
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最も奇抜であったのは、金州丸事件の特務曹長、鷲康勝氏の事件であった。大阪毎日(以後大毎)では行方不明と報道したが大阪朝日(以後大朝)では木崎好尚氏が編集して「壮烈なる最期を遂げたる」という事に確定して書いたのであった。河内在の鷲氏の家郷でも、行方不明と報じた大毎の態度を煮え切らぬ事に思って、大朝の「壮烈な最期」を当然のように思い、信じてしまうのが当時の軍国美談的心持なのであった。
一か二か、甲か乙か、編集局に達した報のどちらとも判明しないものを何れかに片付けたい編集記者の心理は一種独特で、特に一世を挙げて戦争の犠牲者を謳歌する国中、人々の心情に充ち満ちていた折柄であって「行方不明」はまどろかしさがあって木崎氏の第六感が「鷲特務曹長は、割腹してでも死んでいる」と力強く囁いたからであろう。
そういう編集部の雰囲気に命じられ天民は、鷲特務曹長の出身地の河内に出張し、昼夜を分かたず取材を重ね「鷲特務曹長の家郷を訪れる」という三回連載記事を執筆し、その「壮烈な死」をほめたたえ好評を博したという。
鷲氏の家郷では一家一門の面目ばかりでなく、一村一郡の名誉この上なし、とあってやがて盛大なる村葬の儀が執行され、西村天囚翁の荘厳端麗な弔辞は木崎好尚氏によって仏前に献げられたりした。
これと対照的な態度だったのが大朝のライバル大毎であって、その消息に関して名誉の戦死説をとらず、ごくあっさりと葬儀は昨日・・・との極く簡単に扱った。葬場でも村人達は大毎の態度を不快がり、大朝のの確定的勇士扱いに随喜しているように見えた。
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それで終われば何もなかったようなのであるが、盛大な村葬を営まれた鷲特務曹長が、なんと一年ほど経て、生きて家郷に還ってきたのであった。
死んだのでもなく行方不明でもなく捕虜となっていたのであるから事実が判らぬ以上は「行方不明」の大毎の勝利と言わなければならなかった。その罪滅ぼしのために天民は「生還せる鷲特務曹長」という記事を書かなければならなかった。そういう天民の取材に歌人の与謝野鉄幹を思い起させる風貌の鷲特務曹長がとても面目なさ相うにしているのが、かえって気の毒に思えたりした。上司の木崎氏は「大きな喜劇やないか。見当違いもこの位になると目覚ましうて良いやないか・・・」と身体を揺り上げて笑っていたが、当の天民は笑っても笑い切れない気持ちであった。
ところがこの誤報事件にはさらにそのあとががあったのだ。
この事件を自伝「人間秘話」(新作社)や中央公論「新聞記者懺悔録」等に記述したが次の引用文に目を通して頂きたい。
当時大朝編集局の幹部では鷲特務曹長割腹の一件を半信半疑としていたが、兎に角死んだものとして報道していた。私如きは全く割腹を信じ込んでいたから、村葬の当日はフロックコートを着て太田村へ出張し降る雨の中を会葬しその勇士の死を弔った。その葬儀が又頗る珍なるもので、故人の妹が在学していた基督教のウイルミナ女学校からは女教師、生徒の一団が来て聖書を朗読し聖歌を唄い、祈祷した。真宗の南無阿弥陀仏に神官の祭文、知事代理の弔文、小学校生徒の唱歌と云う風で、随分賑やかなものであった。
肝心なのはこのあとである。私は悲哀の調子の充ちた葬儀の記事を書き木崎氏に渡すと「壮烈なる戦死を遂げし」はどうも疑問であると。「生死不明の噂ある・・・」として雨が降って物淋しかった等は書くまいと云うことであった。取捨は勝手にと答え机に置いたが翌日の大毎の記事とは大変な相違であった。私の記事は七十行が三十五行に削られしかも「生死不明の・・」とある。これを見た太田村の村民親友人は何と思ったであろう。果然その日の午後、村葬の委員たる友人二人が「松崎さんにお目にかかりたい」との権幕であった。
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ただし、これは天民が不正確なジャーナリストであったことを意味しない。天民は独特の正確さを持っている。特務曹長の無事帰還を知った時に、「もしこれを新聞の材料にせぬのは嘘である。死んだと思われた事も捕虜になって帰還されたのも新聞の材料である。
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日露戦当時、金州丸の航路と沈没地点
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陸軍特務曹長 鷲 康勝 (願立寺元住職)
感激!天の川を見てきました・・と
「天の川が見たいのですが、どこに行ったら見えますか?」とお若い娘(TT)さんがお寺に訪ねてこられました。ご門徒のお父さんが「お寺さんに聞いてみたら」という事でした。
星や星座や望遠鏡でどうのこうのでなく、純粋に天の川を満天の星空で見たかったようで、車で行ける条件でいくつか星空ポイントを提案しました。八尾から2時間以内ぐらいで行ける星のきれいなところで、安全に落ち着いて星見ができるところです。
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◯一般に良く知られた星見メッカ
1、大台ヶ原の山上駐車場 (奈良県、土日祝は多い、家族・グループ等、冬場不可)
2、高野龍神スカイライン護摩壇山駐車場(和歌山県、マニア・グループ、冬場不可)
3、みさと天文台 (和歌山県、公開天文台・宿泊あり・ガイドあり)
4、西はりま天文台 (兵庫県、公開天文台・宿泊あり・ガイドあり・規模大)
5、大塔村コスミックパーク「星のくに」(奈良県、公開天文台・宿泊あり・ガイドあり)
※あとはココでは内緒!
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驚いたことに早速翌日に大台ヶ原に行かれたそうで、ラインで星空画像を送って来られました。友人と一緒にスマホに三脚で撮影されたそうでビックリするぐらい天の川やさそり座など夏の星が写ってます。下記に掲載
移動途中は霧がかかり諦めムードも山上にでると快晴で満点の星。たくさんのグループや家族連れがおられ、流れ星が飛ぶと歓声があちこちからあがる雰囲気だったそうです。ご本人の肉眼での天の川の印象を聞くと、想像より淡く、薄い雲が掛かっているようだったそうです。事前に初めて見ると案外淡いものだと「ガッカリ予防」をしておいて良かったかと。最近は画像処理し強調したのが当たり前の天体写真の時代ですが目で見たものと大きな違いには気になります。
それにしてもTTさんの素早い行動力に脱帽です!チャンスを逃がさない方です。
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大台ヶ原山上駐車場の様子、月のない快晴の条件でたくさんの星空ファンがいっぱい
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さそり座と天の川中心付近(撮影:2025年7月26日宵、大台ヶ原にて、TTと友人)
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初星見でスマホ簡単撮影とのこと、ビックリする程写ってます!(注:肉眼ではこんなには見えません)掲載許可済
第8回願立寺寄席「真宗落語の会」七夕に開催
2025.7.7|願立寺日記
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第8回願立寺寄席「真宗落語の会」7月7日(月)七夕の夕べに開催しました。
例年なら梅雨本番で足元を心配しながらとなりがちですが、今年は早々と梅雨明けとなり、快晴酷暑のなかの開催となりました。来場の皆さん「待ってましたで」などの言葉を頂戴しながらあっという間に満席近くなりました。新委員長の二宮好文さんから令和7年7月7日7時との7が4つも並ぶラッキーなご挨拶のあと、月亭遊真さんの「看板の一(ピンと読む)」、桂福矢さんの「天狗裁き」、トリに桂小春團治さんからの真宗落語「花まつり大作戦」の三噺の熱演をお楽しみいただきました。看板の一では博打場でのお調子者のコントの様な大失敗、天狗裁きの小さな夫婦喧嘩が天狗まで登場する雄大な話しが見事、花まつり大作戦では町内の人々のよくある人情話にお釈迦さまの誕生説話を交えながら、様々な仏法話しを面白おかしく交えてくださいました。
願立寺寄席は隔年の7月頃に開催予定、来年は「お寺でコンサート」の予定です。オープン行事ですのでご門徒さん内外を問わずどなたでもご参加いただけます。
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月亭遊真さん「看板の一」
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桂福矢さん「天狗裁き」
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桂小春團治さん「花まつり大作戦」
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