法話・感話

コロナパンデミック
2020.4.23|法話・感話

ハナミズキの花が咲きました

 

コロナパンデミック

まさにこれは、生命のさけびである。

大地をゆるがす生命のうめき声が聞こえます。

 

現代は病める地球の時代になったのかもしれません。

日々激変する自然環境の中にあって、動物や虫けらやウイルスまで、

山川草木が懸命に訴えているのでしょう。

「生命を生きおうているものがどうして生命を粗末にするのか」と。

 

人間は万物の霊長だと飽くことなく、便利さと豊かさを追い求めてきました。

その代償に尊厳な生命さえ見失い、共存する生き生きとした生命感覚までも

マヒさせてしまったようです。

 

欲望という名のロケットに乗って幸福を求めてきた結果、

一瞬にして新型コロナが船内にまん延してしまいました。

 

そこで、私たちは今、何をして、どう生きるかです。

 

※「いのちの言葉」参考にして

クルーズ客船と新型肺炎に思う
2020.2.14|法話・感話

画像:ダイヤモンド プリンセスHPより

 

中国の武漢から発生されたとされる「新型肺炎」の脅威が連日に渡って報道されています。

この感染症の発症は昨年末のようですが、年明けから感染者や重症者、深刻な死亡例も

日に日にマスコミで報道されて、日本国内にも増加し今春になって感染が爆発的に拡大

しないかと心配されています。

 

 特にクルーズ船での感染拡大と船内での隔離状況も伝えられて、多数への感染拡大を

止めるための、少数の感染グループの犠牲についてはやむを得ない事かと思いつつ

複雑な思いになります。

 

 豪華クルーズ船の旅は、きっと優雅なものなのでしょう。煌びやかな船内装飾のなか

豪華な食事、飽きさせない映画やショーの数々、カジノでの娯楽や屋上プールなども

紹介されていました。ところが、ひとりの感染者の出現で一瞬にして環境が暗転しました。

乗客の老夫人が電話インタビューに答えておられました。

 

「まるで刑務所」「天国から地獄になりました。」「辛いです。」という言葉。

 

この言葉を聞いて状況や規模は違いますが、かつての豪華客船タイタニック沈没の

大惨事をも連想してしまいました。

 

 私たちは近代科学文明の恩恵を、否応無しに無意識に受けています。ただ、忘れては

いけない事があるようです。大地震や大水害、津波や巨大台風等々で、文化的な生活が

一瞬にして無くなってしまうことに私たちは気づきはじめているはずです。

 

 人は幸福を追い求めます。豊かさ、快適さ、利便さ、もっともっと、さらにさらにと

いう人間の知恵による行いのツケがここに来て、少しずつ回ってきていると見るべきでは

ありませんか。

 

 親鸞さんは「末燈鈔」という書物に「自然法爾」(じねんほうに)という言葉で述べられて

います。

 

「自然(じねん)というは、自はおのずからという。行者のはからいにあらず、しからしむと

いうことばなり。然というはしからしむということば、行者のはからいにあらず、

如来のちかいにてあるがゆえに。」と。

 

 行者は私たちのこと、「はからい」は人間の分別や計算、企てのこと。人知には自ずから

限界があるということでしょう。本来、なるようにしかならないことを、私たち人間の

勝手で改造したり、分別で変えてしまうことは自然のことわりに反していることなんだと

いう事なのでしょう。

 

本当の幸福とは・・・

「真っ赤な満月」ー阪神淡路大火災から25年ー
2020.1.17|法話・感話

  震災の追悼式を伝える 読売テレビ 「ten」より

 

あの朝1月17日の出来事は25年経った今でもはっきりと覚えています。

 

未明の5時46分でしたかいつもはまだ寝ている時間です。さすがに特別な地鳴りに

目が覚めたようで、大きな地震独特の遠くからの微振動が近づいてきたかと思うと、

強い突き上げるような縦ゆれがガタガタと来て「大地震や!」と跳び起きました。

机に積んでいた書類が崩れたり、本棚の本がドサっと落ちたり、周りの家具が

倒れないように大の字になって暫く踏ん張っていました。きつい揺れが体感

2~3分でしょうか、少し収まって隣の子ども部屋に飛び込むと、当日10歳の

誕生を迎えた小学生の長男と妹が平気で二段ベッドで寝ていたりキョトンと

しているのには驚きながらもホッとしたものです。

 

大地震の時は激震地の情報が直ぐに伝わってこないことが、その後分かりました。

テレビをつけると情報が飛び交っていましたが、近畿の各地に震度が4とか5とか

表示されているのに神戸あたりはすっかり抜け落ちているのです。

 

八尾では震度5弱だったので大きな被害は無いようでした。家具の倒壊は無く

本堂前に出ると右の石燈籠の頭が外れて落ちていました。本堂大屋根では西側の

鬼瓦の下げの瓦が落下して道沿いの川に落下していました。通行人のいる時間帯なら

怖かったろうと思われます。屋根瓦全体に緩んだようで、その後の本堂大修復

への道筋になったキッカケになったのも事実です。山門の瓦が緩んで上部に

隙間が出来ていました。内陣に大きな傷みは無かったのですが、御本尊の阿弥陀さんが

少し回転して斜め横を向いていらっしゃいました。揺れとともにコトコト

と回られたのでしょう。しかし、八尾での様子はその後知らされた神戸や淡路の大惨事

とは比べられないほど軽微なものだったのです。

 

テレビには午前中に次々震源近くの被災状況が伝えられていました。その極め付けが阪神

高速道路の高架が何キロにもわたって倒壊している様子や走行バスの宙ぶらりんの衝撃的な

映像でした。巨大なビルも丸ごと倒壊している姿は日本では見たこともありません。

続いて、各地に火の手が上がり街中が炎と煙に包まれて、大空襲された街のような光景でした。

八尾から大阪湾を隔てて数十キロしか離れていないすぐそこでの大災害でした。

 

その日の夕方日が暮れ始めた東の空に、忘れもしない「真っ赤な満月」が昇っていました。

震災大火災の膨大な煙霧が広がり、冬の透明なはずの大気を染め満月を真っ赤に

染めていたのです。

 

私には自然をわがまま放題に駆逐し尽くす私たち人間に

「いい加減にしないと、大変なことになるぞ!」

と叱ってくれている姿に見えました。見たこともない怖く赤い月でした。

住職

ダックスのおかげ
2019.12.13|法話・感話

お参りでのお話しです。

 

そのお宅には可愛いミニチュアダックスがいました。

「いました」ということは最近亡くなったということです。

 

ご主人や奥さんがとても可愛がっておられましたが

5才過ぎにダックス犬特有の椎間板ヘルニアでうしろ脚が

不自由になってしまいました。

その後は、おむつをしてもらいながら10年間

暮らしたことになります。

 

月参りに行くと、玄関を開ける前から鳴き声が聞こえる

ほど活発で可愛い犬でした。

前足だけで上手にスルスルと走ってきますし、目が

クリッとしてとても愛嬌のある賢い犬でした。

 

奥さんは年齢と共に、少しお身体が不自由なところが

あって、犬のお世話が次第に厳しくなっておられました。

とても優しい方で、懸命に犬の介護をしておられる様子が

よく分かったものです。

 

 

今になって、奥さんがしみじみと仰るのです。

 

「私、あの子をお世話していたと思っていたら

反対に、お世話されてたみたいです」と。

 

「あの子を抱いたり、ご飯の用意をしたり、おむつを

変えたりしていたことが、私の腕に力を残して

いてくれたんです」

「今、あの子がいなくなって、握る力が弱くなって

きたのがよく分かります。」

「もし、あの子が居なかったらもっともっと

私の病気が進んでたと思います」

 

「本当に、あの子のおかげなんです」と。

アフガンの中村医師銃撃さる
2019.12.5|法話・感話

画像:時事通信Web

 

アフガニスタンで現地の人びとに支援活動を

されていた医師の中村哲さんが銃撃されて亡くなりました。

 

医師として現地に入りながら、やがて医療の限界を語り、

荒れた土と岩の大地に井戸を掘り、灌漑の川を造られました。

今、緑の大地に変わりつつあります。

 

銃で撃たれた人を治療すること、栄養失調で痩せ細った

子どもたちに食料を与え、治療すること。

どれもとても大事なことですが中村医師は、

ひとまず医療を横に置いて、

大地に水を流し広大な小麦畑を人びと自らが造れる

よう、道筋を付けられたのです。

 

決して銃やミサイル、お金では豊かにならないことを

身をもって示された尊い行動です。

 

報道で、現地の方々と新しく掘られた川に初めて水を

流された時の映像がありましたが、

その水の流れの先端に立つ中村医師の笑顔ほど

美しいものはありません。

木守り柿
2019.11.10|法話・感話

車で一時間ほど走った山里によく星の写真を撮りに行きます。大阪の光害からのがれると

夜空が真っ暗になって、暗い星や天の川などもくっきりと見えるからです。いつも行かせて

もらうあたりは自然がいっぱい残っていて、秋も深まると段々畑と山々の紅葉が見事です。

 

ある時、片付けをしていると在所のお婆さんが野菜や柿を持ってきてくれたのです。

色良い柿を割ってその場でいただくととても甘く美味しい柿でした。

お婆さんはもいだ後に残った中から、特別おいしそうなのをくださったのでした。

柿もぎを終えたあと、「イノシシが畑を荒らして困る事やら、お猿さんも走るんでびっくり

や」などと、世間話をしていたのですが、柿の木の頂上に真っ赤な実が二つ三つ残っている

のに気がついたのです。

お婆さんは「あれは、木守り(きもり)とゆうてね、来年もよく実りますようにとお願い

をするおまじないや、木の高いところにいくつか、柿の実を残しておくんや」と。

なるほど、何とゆかしい習慣だろうと感心していると、ニコニコしながらお婆さんの

言葉が続きました。

「それとやな、何もかもわてら人間さまが食ってしまわんで、これから食べ物が少のう

なるやろ、寒い冬にしんどいめをするんやろうから、あの鳥やら生き物にちょっとでも

残しとかなあかんなというせめてもの気持ちやねん。」 「食べたあと、遠くへ種を運んで

くれるかもしれんしな。」「お互い様のおつきあいや」

 

この言葉にはハッとされました。小さな野鳥たちのことまで気づかう心、まさに仏様の

慈悲の心です。人と自然の共存共栄、おつきあいを守り続けようとする昔からの習慣に、

私たち現代人はもっともっと学ぶべきなんだと思います。

 

いま私たちは、自然を痛めつけるだけ痛めて生きています。マグロやウナギをはじめ

食物となる自然は取れるだけ取ってしまい、あげく、希少価値になって値段が高く

なってかえって困っているのです。

 

この地球に生きる人間以外の動植物へ、どれほどの思いやりを私たち人間は持って

いるのでしょうか。 私たちのまわりに自然を破壊する人々がいることは見えるのですが、

残念ながら気がつけば自分自身 もその一人になっていることに気づかなければなりません。

 

このお婆さんのように自然の恵みに感謝し、小さな鳥の命を心配する人もちゃんとおられ、

私たちに教えていただけることが仏法相続、そのものではないかと思います。

 

どんな姿が人間らしい生き方なのか。

木守り柿とお婆さんに教えられた一日でした。

 

 

 

一汁一菜
2019.11.8|法話・感話

料理家の土井善晴さんが、最近提案されておられます。
世の中があまりにも贅沢になりすぎて、おかず5〜6品が
作り手に大きなプレッシャーにもなっているそうです。

 

食事の原点は質素な「一汁一菜」でよい。
ご飯と具の入った味噌汁、お漬け物。
それで十分!という提案。

 

蓮如さんは「お斎」(おとき)を大切にされたそうです。
お斎は、法事の後、皆さんでいただく食事のことです。
勤行、法話、そしてお斎があって法事が成立するのです。

 

法事は難しいお経で始まるものの、法話で意味や内容にふれ
そして、食事をしながらさらに噛み砕いていく。
膝をつき合わせて話し合いながら、信心を確かめ合うことを
大事にされたのでしょう。
その時の食事が、まさに「一汁一菜」

 

お参りのご門徒に尋ねました。
今までで、「一番おいしかったのは何ですか?」と
皆さん、うーうーん・・となんとか思い出し
搾り出した記憶には

 

・疎開先で父がつくってくれた「蒸しパン」
・戦争中、弟と食べた「おにぎり」
・戦後、進駐軍から貰った「お菓子」
・小さい頃、近鉄百貨店で食べた「オムライス」
それぞれの話には心に沁みる思い出がありました。

 

恥ずかしながら、住職は
・子供の頃はじめて食べた「チキンラーメン」
でした。
姉と3分待って蓋を開けた一口は衝撃だったのです。

 

どれも、今、飽食の時代にはお世辞にも
美味しいご馳走とは言えないかもしれません。
でも、その時は最高に美味しかったのです。

 

一番美味しかったのは
決して豪華な御膳ではなかったのです。

 

秋彼岸に想う②「二河白道」
2019.9.23|法話・感話

 

旅人が西に向かって行くと突然火の河と水の河に出ます。火の河は南に広がり、

水の河は北に続いていると二河白道の喩えがあります。

 

最近の夏は猛暑続きでクーラー無しでは過ごせなくなりました。汗まみれで耳の近

くに蚊の羽音が聞こえるとちょっとしたことですが嫌なものです。また、

冬は冬で底冷えして風邪をひいたときの辛さは譬えようもありません。

子どもの頃、暖かさを取り合い兄弟で火鉢の良い所を取り合って喧嘩したものです。

まさに「貧愛水のごとし」でした。

そして旅人はその二つの河の中間に白い道を見つけると描かれています。

それが彼岸への道であろうということです。

 

善導大師は続いて「中間の白道四五寸というのは、衆生の貧愛・慎憎の中に

清浄願心を発すに喩えている」と説明されています。「貧愛・慎憎の中に」

とはまさにその通りだと思うのです。春の彼岸の時は、これまでは「やっと

寒い冬が終わった」と思っていましたが、そうでなくて、「これからあの

嫌な暑い暑い夏がやってくる」その中で私はどう生きるのか?と。その中に

身を置いて考えるときではないでしょうか。秋の彼岸もまったく同じことです。

 

私たちの人生は楽しいことばかりではありません。人はいろいろな悩みや苦しみを

持って生きています。でも、人は苦しみや悲しみから逃げて幸せになるのでなく、

苦しみや悲しみの中に救われていく道があることを示してくださっているのです。

 

我々は年々、齢を重ねてゆきます。一歳一歳、齢を重ねるごとに体調に問題が

おきてきます。膝が、腰が痛い、目がかすむ、物忘れが・・・と。よく考えれば、

あたりまえの事なのに若い頃はもっとしゃきしゃきできたのに、と元気な時と比べて

愚痴を言ってしまいます。それを悲しみ苦しみにしてしまうか、白い道は細いけど

しっかり歩みを進めるのか。

「今こそ救われる時なのだ」ということを心に留めて生きて行きたいものです。

秋 彼岸に想う① 「二河白道」
2019.9.22|法話・感話

ガンジスの日の出

 

この時期になると日本ならではの季節の言葉「暑さ寒さも彼岸まで」が

しっくりときます。

つい最近までの35度を超える猛暑続きの日から、夕方が早くなって気が

付けば蝉の声が虫の声に変ってきました。

 

私たちは四季折々の季節感を取り入れながら生活してきました。

仏教が生まれたインドの仏教徒は乾季雨季というより、お釈迦様に関わる

時期を大切にされてきたと聞きます。

お釈迦様誕生の4月8日は「誕生会」。悟りを開かれた12月8日は

「成道会」。2月15日は「涅槃会」と言ったものです。お盆(盂蘭盆会)

も忘れてはいけません。

 

「彼岸会」や「修正会」は仏教が日本に伝来してからのいわば

日本風土に根ざした特有のものと言ってもいいものです。

こうして見てみると全部に「会」という字がついています。

これは「法会」ということです。つまり、いろんな時期や大事な日を

ご縁として仏法にお会いする、ということなのでしょう。

私たちの日暮らしは中々余裕がなく仏法に会うことがありません。

そこで、なにかを機にして仏法を聞く時と場を設けることをされて

きたのだろうと思われます。

 

お彼岸にどのような意味があるかといえば、その日は太陽が真東から昇り、

真西に沈むことから、西方浄土に至ることと彼岸に至ることが重なって

 到彼岸の意味が示されているといわれます。しかし、実生活の上では真東、

真西かということより、やはり暑さや寒さの境といった方が実感的な

気がします。

さて、彼岸と言えばいつも思い出すのが善導大師の「二河白道の譬え」です。

終戦の日
2019.8.15|法話・感話

月参りでのお話し  終戦の日

 

「院主さん、あんたの息子さんが戦争に行って
戦死するようなことあったらどう思いなはる」

 

戦前戦後を生き抜かれたお婆さんの一言です。
ドキッとしました。

 

わたしら戦前の教育を受けていたからそれが当たり前、
かえって名誉な事やと子ども心に思っていました。
今の時代から見たら考えられん事ですわ。

 

うちは父が兵隊に行くには歳とってたさかい、いかなんだ。
おまけに、兄がいない家やったさかい
お国の為に兵隊に出さん事、つまり役にたたんということは
何となく世間さまに申し訳ないことやと思っていました。

 

隣村で戦死しゃあはったとき、葬式の行列が立派で
軍服に白いタスキをかけて周りを日の丸で囲まれて
いるのみたとき、お国の為に立派 に尽くされたんだと
ほんとに思ったもんです。
影で家の人が泣いてるとも知らんと。

 

8月15日の終戦の日、畑で水車を回す手伝いをしてて
父が、「なんや、お昼に天皇さんが話あんねんて」
ということで家に帰ると、いつもは昼の間、足洗ったこと
ない父が足をきれいに拭いてラジオを聞いてんねん。

 

天皇さんの放送が流れても国民学校初等のわたしには
何のことか分からへんかったのですぐに遊びにでました。

 

友だちから、「日本負けてんで」って聞いたとき
「そんなん、ぜったいあらへん!嘘やろ」と、
本気で思ってました。

 

だから教育って一つ間違うたら怖いもんでんなということ
今の時代やからこそ、つくずく思いま。

 

こころに響く、語り継がなければならない
お婆さんの言葉です。

山里の鹿
2019.1.18|法話・感話

先日、山里で深夜、鹿とバッタリ出遇いました。
こちらを睨んだあと、あっという間にススキの原に消えていきました。
見事な角を持った、立派な雄鹿でした。
地元の方の話でも鹿や猪が増加して、せっかく丹精込めた農作物を荒したり、
木々の樹皮を剥いで枯らしてしまうなど、被害が出ているということでした。
前々から話には聞いていましたが、今まで見かけ無かった場所で突然出くわし、
こんなところにまで鹿が進出してきたのかと驚かされました。
地元の人たちは畑に電気柵を施し、真っ暗な段々畑に時々LEDの赤や青の
閃光が走るようになりました。山里での生活を守るやむを得ない自衛策だろうと
思います。遠く北海道では近年、本格的に鹿を駆除の対象にして、自衛隊の
助けまで借りて大がかりな応援協力が実行されているほどだと聞きます。
しかし、この事はつきつめて考えてみると、「全ての命が共に支え合っている」
ということを何処かにおき忘れた「人間の身勝手さ」と言わざるを得ないような
気がします。
鹿の増加は、かつて鹿を乱獲した影響で、天敵のオオカミが家畜を襲うように
なったため、オオカミを駆除し絶滅させてしまったことによる影響だといわれて
います。アメリカのイエローストーンでの鹿とバイソンやオオカミの関係や
個体数の調整などでも同様のことがあったと聞きました。
共に支え合っていることを忘れて、人間の都合で危険で嫌いなものは排除し、
可愛くて好きなものは大事にする。
ところが、条件が変わって邪魔になると一気に排除する私たちです。
仏法では、 「全ての命在るものは、人間の好き嫌いといった都合に関係なく、
それぞれが一つの尊い命として輝き、互いに支えあっている」と説きます。
何一つ無関係な命は無いのだろうと思います。
私たちが生きていく上でも、多くの命に支えられています。
そして、その多くの命を奪って自分の命としていますが、それになかなか
気付かないまま当たり前のように猟をし、食料としてしまっている私たちです。
人間同士が支えあっているだけではなく、全ての命に支えられているという
感謝の思いと同時に、多くの命を奪い続けてしか生きられないという意識を
持つことが大切なのではないでしょうか。

台風一過に想う
2017.10.24|法話・感話

台風一過の夕方

 

大きな台風が通り過ぎました。

 

昔から人々は様々な自然災害をどう受け止めていたのでしょうか。

仏教では地、水、火、風の四つを、この私たちの世界を造っている根源の

事象と説いています。

それぞれのバランスが良ければ平穏無事ということなのですが、

それが少しでも偏ると私たちには手の付けようのない巨大な力となってしまいます。

地は地震、水は大雨や津波、火は大火事、風は今回の台風というように

考えてみてください。

 

当然の事ながら、大災害の前にいる人間はただ無力としか言いようがないのです。

そして人は、どうしてこのような災いが起こるのか、どうしてこの私が

こんな目に会わないといけないのかを、いつも考え悩んできました。

そこに大きな力への恐れが消えて無くなることはなかったはずです。

このような災害は「こんな経験は初めて」というような言葉では

 片づけられない事でもあるし、消えて無くなることもありません。

 

「起こることは必ず起こる」と仏法は教えます。

 

同時に、災害は自然を壊し資源や食べ物などを使い捨てている今の私たちの

暮らしに対する大いなる警鐘と受け取ることもできるのです。

 

被災された皆さんの一日も早い復旧を願いながら、自身の足もとを見つめ直す

大切な機会としたいと思います。

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