伊能忠敬の歩いた北海道
2016.10.21|

~ 住職のとんぼ帰り旅行記 10/18-20 ~

伊能忠敬の時代には北海道は蝦夷(えぞ)と呼ばれていました。

忠敬は日本列島の姿を始めて正確に測量し、日本地図を完成させた

偉人と紹介されています。

今回、NHKからご依頼があり、忠敬が歩き、実際に星を観測した地に立つ

ことができました。場所は北海道別海町の海岸。大阪の伊丹空港から

羽田で乗継ぎ、道東の中標津に降立ちました。車で走り出すと北海道の

秋がみごとで、地平線まで真っ直ぐの道、周辺は広大な牧場や白樺と

紅葉の林、空港から一時間余りで現地に着くことができました。

 

秋の北海道 尾岱沼から知床半島を望む

 

現地では、今回のチームの手になる「子午線儀」が既に完成して

いました。忠敬が天測のため持ち歩いた子午線儀を復元したとか。

 

地面に南北線を引き、北と南に長短の棒を垂直に立て、白い糸を張り、

糸の下に観測者が寝転がり目標の星の南中を観測するというのが

子午線儀の仕組みです。糸一本では観測者の目の位置で誤差が生じる

ため上下複線にし、糸が弛まないように、糸の最後に錘をつけます。

錘を桶に水をはった中に入れてあるのを不思議に思いましたが、

観測中の風の影響で糸が揺れないようにという工夫と聞いて恐れいり

ました。「昔の人は偉かった」の言葉通りのようです。

 

子午線儀

 

別海町の海岸に「伊能忠敬測量隊・最東端到達記念柱」として碑が

建っていました。忠敬の最終の目的は「地球の大きさを知りたかった」

らしく、日本地図作りはその副産物といってもよいくらいだそうです。

今回は衛星放送の番組で忠敬を特集し、科学番組を作るということが目的。

忠敬が行った観測を、同じ現場で現代の学生さんが観測する。

特定の星の南中を決め、同時にその星の南中高度を横で観測するという。

ただ星の素人ばかりで実際にどの星を見るのかを順にレーザーポインターを

使って案内するのが、今回の私の役目でした。

 

日没後、星が見え始め、白鳥座のデネブから観測は始まりましたペガサス

の星まで、十数個の星の南中を観測することができたのです。これを、

200年前に、チョンマゲ、脇差、袴、わら草履の忠敬測量隊一行が

行ったのかと思うとなんとも言えない感慨を覚えました。

江戸から蝦夷までを数カ月かかって海岸線を歩き、星の高度の変化を

観測する。やがて、緯度1度の距離を約28里と求めた。その結果、

地球の半径を約6400Kmとほぼ正確に決定していったという。その努力に

ただただ感動するものです。

 

北へ行けば行くほど北極星の高度が高くなり、南の星は低くなる。

忠敬が地球の丸さを体感していたことを、私たちも時を越えて感じた

ものでした。

 

忠敬は四九歳で家業を引退、家督を息子に譲り七三歳で亡くなるまで、

自身の興味関心の本当のことが知りたいことを学習し実践しました。

古代インドの人生観には四住期という見方があります。

人生を学生期、家住期、林住期、遊行期に四つに分けるという。

忠敬のこの偉業を思うとき、この林住期という人生のクライマックスに、

地球を測るということに捧げた、得難い求道者のようにも思えるのです。                (住職)

 

〇番組放送は12月22日22時~、NHKBSプレミアム・コズミックフロント「伊能忠敬」の予定

伊能忠敬の歩いた北海道
2016.10.21|願立寺日記

伊能忠敬の歩いた北海道

~ 住職のとんぼ帰り旅行記 10/18-20 ~

 

伊能忠敬の時代には北海道は蝦夷(えぞ)と呼ばれていました。忠敬は日本列島の姿を始めて正確に測量し、日本地図を完成させた偉人と紹介されています。今回、ご依頼があり、忠敬が歩き、実際に星を観測した地に立つことができました。場所は北海道別海町の海岸。大阪の伊丹空港から羽田で乗継ぎ、道東の中標津に降立ちました。車で走り出すと北海道の秋がみごとで、地平線まで真っ直ぐの道、周辺は広大な牧場や白樺と紅葉の林、空港から一時間余りで現地に着くことができました。

 

秋の北海道 尾岱沼から知床半島を望む

 

現地では、今回のチームの手になる「子午線儀」が既に完成していました。忠敬が天測のため持ち歩いた子午線儀を復元したとか。地面に南北線を引き、北と南に長短の棒を垂直に立て、白い糸を張り、糸の下に観測者が寝転がり目標の星の南中を観測するというのが子午線儀の仕組みです。糸一本では観測者の目の位置で誤差が生じるため上下複線にし、糸が弛まないように、糸の最後に錘をつけます。錘を桶に水をはった中に入れてあるのを不思議に思いましたが、観測中の風の影響で糸が揺れないようにという工夫と聞いて恐れいりました。「昔の人は偉かった」の言葉通りのようです。

 

子午線儀

別海町の海岸に「伊能忠敬測量隊・最東端到達記念柱」として碑が建っていました。忠敬の最終の目的は「地球の大きさを知りたかった」らしく、日本地図作りはその副産物といってもよいくらいだそうです。今回は衛星放送の番組で忠敬を特集し、科学番組を作るということが目的。忠敬が行った観測を、同じ現場で現代の学生さんが観測する。特定の星の南中を決め、同時にその星の南中高度を横で観測するという。ただ星の素人ばかりで実際にどの星を見るのかを順にレーザーポインターを使って案内するのが、今回の私の役目でした。

 

日没後、星が見え始め、白鳥座のデネブから観測は始まりましたペガサスの星まで、十数個の星の南中を観測することができたのです。これを、200年前に、チョンマゲ、脇差、袴、わら草履の忠敬測量隊一行が行ったのかと思うとなんとも言えない感慨を覚えました。江戸から蝦夷までを数カ月かかって海岸線を歩き、星の高度の変化を観測する。やがて、緯度1度の距離を約28里と求めた。その結果、地球の半径を約6400Kmとほぼ正確に決定していったという。その努力にただただ感動するものです。北へ行けば行くほど北極星の高度が高くなり、南の星は低くなる。忠敬が地球の丸さを体感していたことを、私たちも時を越えて感じたものでした。

 

忠敬は四九歳で家業を引退、家督を息子に譲り七三歳で亡くなるまで、自身の興味関心の本当のことが知りたいことを学習し実践しました。古代インドの人生観には四住期という見方があります。人生を学生期、家住期、林住期、遊行期に四つに分けるという。忠敬のこの偉業を思うとき、この林住期という人生のクライマックスに、地球を測るということに捧げた、得難い求道者のようにも思えるのです。                  (住職)

 

〇番組放送は12月22日22時~、NHKBSプレミアム・コズミックフロント「伊能忠敬」の予定

当院 親鸞聖人御影と裏書
2016.8.22|願立寺日記

当院の親鸞聖人の御影に傾きがみられたので、整えるため一旦厨子から外し、

この機会に御影の裏書を確認しました。

ちょうど、7月の逮夜法座と8月の婦人会の定例会に御参詣のみなさんにも、

直接見ていただくことができました。(平素、拝見する機会はありません)

 

表は親鸞聖人の座像で右を向いておられ、像容や念珠の持ち方など

「安城の御影」や「熊皮の御影」などを原形にした御開山晩年前の丸みを

帯びた御姿のようです。

 

裏書には 「親鸞聖人御影 大谷本願寺釈一如書之」とあり、

「元禄五年壬申(みずのえ・さる)歳霜月仲旬(一月中頃)、

河内の國志紀郡太田村、総道場願立寺安置焉 寄進圓?」と記されていました。

 

これらの事から、当時本願寺は「大谷本願寺」と呼ばれ、

「釋一如」(第十六代第の御門首)が門首の元禄五年に、この御影が

本山から下付されたことがわかります。これが願立寺の創立年で、

当時は本堂が総道場の形式であり、別の資料に幅三間奥行き七間の

棟の低い細長い建物であったとの記録が柏原文庫に残っています。

(今から324年前です)

 

親鸞聖人御影

 

裏書

 

鈴木君代さんトークライブ
2016.7.7|願立寺日記

お寺で2回目のトークコンサートをひらきました。修復された本堂で皆さんと、ということで門徒内外を問わず地域によびかけ開催している公開の催しです。隔年ごとに落語会とトークコンサートを交互にひらき、今年は東本願寺にお勤めのシンガーソングライターの女性僧侶「鈴木君代」さんにお越し頂きました。

 

以前、住職が茨木別院での御遠忌のおり君代さんの歌とお話を拝聴し、いずれ自坊のコンサートに!と思っていたことが実現したのです。

 

 

 

ご自身の子どもの頃から、やがて多感な青年の時期、女性僧侶への道、そして最愛の師匠といのちの別れなどをお話しされながら、作詞作曲された歌や、聖人の和讃、御文、先人の詩にメロディーをつけられた歌など、ギターをベースに現代の感性で、本堂いっぱいに歌っていただきました。

 

 

お越しになった方から、「普段何気なく歌っている恩徳讃があんな歌になるなんて、感動しました!」という声もあり、お誕生日の歌や白骨の御文や兵戈無用・・・等々、そして「ふるさと」を歌い出されたら自然と皆さん方との大合唱になりました。(約70名参集)

永代経法要2016
2016.4.7|願立寺日記

当日、春の嵐に見舞われるなか、雨風のすき間をぬってたくさんのご門徒の
方々のご参詣を頂きました。昼2時・夜7時 2座
阿弥陀経のお勤めのあと、遠慶寺住職、大橋恵真師からご法話を頂きました。
この度のテーマは「対治と同治」親交のある小児科医師の医療の受け止め方に
対する問いをもとに、対治の歩みの限界から同治に眼を開かれていく心の転回を
真宗のお念仏の教えとともに明快にお話しくださいました。
ご聴聞の皆さんの中には、ただただ延命することが目的のように見られる
現代医療にも疑問を持たれておられる方も多く、本当の救いとは何かを改めて
考えさせていただけたのではないでしょうか。(ご参詣:85名)

子ども花まつり2016
2016.4.5|願立寺日記

4月5日午後2時~子ども花まつりをしました。
今年は案内を早めにしたり、近くの保育園の年長さんの子たちの参加もあり、
賑やかな花まつりとなりました。
お寺の本堂に初めて入った子たちがほとんどで、「神さまがいるの?」とか
「広いなー」とか、興味津々のようすでした。
始めに仏様やお釈迦さまのことや、手の合わせ方、「しょうしんげ」のおつとめの練習、
そして本番をしました。幼児中心の集まりでしたが声をそろえてできたようです。
続いてリーダーのお兄さんとゲーム 「座布団から落ちないように!」をしたり、
紙芝居で「ねんぶつばあさん」のお話しを聞きました。
そしてお楽しみブットンくんの登場!みんなは初めて見るブットンくんに大喜び。
ブットンくんとクイズや「ブットンじゃんけん」をして遊びました。
最後に一人ひとりが花御堂のお釈迦さまに甘茶をそそぎ、手を合わせてプログラム
は終了しました。
帰りには、おさがりのお絵かき帳やお菓子を大事そうに持って帰ってくれました。
本堂に子たちの声を!小さい頃の良い思い出にしてもらえたらと願います。
(参加、子ども30名、保護者10名)

私の戦争体験 藤田義雄さん
2015.8.7|願立寺日記

8月7日の婦人会で藤田義雄さんから、「私の戦争体験」と題してお話しを
いただき皆さん熱心に拝聴されました。
昭和20年3月の大阪大空襲、そして終戦直前の大阪城での生死間一髪の体験を、
準備された資料や写真を紹介しながらのお話しでした。本土決戦に向けての防火訓練、
バケツリレー、竹やり訓練、敵戦車への肉弾訓練など後になって
「なんの役にもたたなんだ」
戦争の無益なことを改めて語られました。(参集40名)
今はにこやかに話される義雄さん

花まつりに長谷川義史さん登場!
2015.4.5|願立寺日記

今年の花まつりに、絵本作家の長谷川義史さんがきてくださいました。

午後2時に開始予定でしたが1時過ぎからボツボツ参加者の姿が・・開演時には本堂は100名を越す子たちや年配の方々でいっぱいになりました。

 

始めに住職と一緒にご本尊とお釈迦様の誕生仏に手をあわせ、お釈迦様の誕生をお祝いしました。まもなく、長谷川さんの登場「わぁー!テレビと一緒や!」という声に場内大爆笑、そしておおきな拍手とともに、あっという間にあののんびりとした長谷川義史の絵本の世界に引き込まれてしまいました。

 

 

スクリーンに著書の絵本「串かつやよしこさん」「おねしょのかみさま」「おかあちゃんがつくったる」「へいわってすてきだね」「だじゃれ日本一周」などの作品を映し出しながら、笑いあり、しんみりとした涙ありのお話しでした。特に、「おかあちゃんがつくったる」でのちいさい頃お父さんをなくされて寂しかったとき、ご飯でも服でもなんでも作ってくれたお母ちゃんでもつくれないものがあるって聞かされたとき、本当に大切なものがあるんだなと、心にしみるお話しでした。

 

 

一番の見どころは、一枚の白い模造紙に筆と墨汁で、想い出話しをしながら絵を描いていかれるところでした。すーすーと描いていかれる線にまったく無駄がなく、ちょっとした一筆で表情が怒ったり、泣いたり・・・・さすがで、来場された皆さんはその筆使いにおおいに感動されていました。きっと将来絵本作家になりたいと思った子たちもいたような気がします。

帰り際先生の絵本にサインをしてもらい宝物のように胸に抱いて帰っていかれました。

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