修正会って?
2023.12.18|法話・感話
「修正会」(しゅしょうえ)は新年に勤まる法要です。
一年の締め括り、そして新年初めての大切なお勤めです。願立寺では大晦日の深夜零時と元日朝十時に行います。大晦日の夜の十一時過ぎ、テレビでは紅白歌合戦も終わりに差し掛かった頃合いに、本堂に灯りと暖房を付けて準備をします。やがて歌合戦も終わり、ゆく年くる年の放送が始まる頃、門徒さんが本堂に集まって来られ、零時に皆さんと一緒に「正信偈」のお勤めが始まります。修正会は、正月を修めるという意味の他、正を修めるという意味もあります。正とは正すという事で、自分自身のことを改めて見つめ直すという事です。私たちは生活する中で様々な出会いを経て日々を送っています。そんな出会いの中で生まれた感動が今を生きる私たちの生き方に根差しています。私たち真宗門徒においても、法要や法話を通して頂いた感動が生活の中の大きな拠り所となっていると思います。
仏説無量寿経では釈尊の弟子阿難尊者の感動が語られる場面があります。阿難尊者は多聞第一と言われ、釈尊の教えを沢山聴いて来られた方ですが、なかなか悟りには至れなかった方でもあります。親鸞聖人は和讃に「尊者阿難座よりたち、世尊の威光を瞻仰し、生希有心とおどろかし、未曾見とどあやしみし」と語られておられます。この和讃は、ある日、阿難尊者が釈尊の姿を見ると、とても輝いておいでだった。その初めて見る不思議な姿に阿難尊者は驚き立ち上がった、という内容です。もちろん人間から光が発せられる事はありませんから、苦悩する阿難尊者が初めて本当に尊いものに出会うことが出来たという感動がここで語られているのです。
お寺のお勤めが終わった後、帰り際の門徒さんとお話ししていると冗談めかして「お寺の門を出たら聞いた話全部抜けてしまうんや」と語られる方がおられます。私も法話を頂いた後には、ああ良いお話しが聞けたなと思いつつ、一度普段の生活に戻ってしまえば、いつの間にか折角いただけた感動も何処かへ行ってしまいます。この和讃はそんな私へ投げかけられている様に思います。だからこそ、一年の節目、この修正会で我が身を見つめ直す事が大切なのだと思います。 (若院)
・大阪教区パンフ(知ってる?仏事あれこれ)掲載