法話・感話

普遍の道しるべ
2023.3.19|法話・感話

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普遍の道しるべ

 

悲しさ嬉しさ

ちょうど卒業式の時期です。そしてやがて4月になれば入学式、春は別れと出会いの季節と言われます。仲の良かった友だちとの涙があるし、一方これからどうなるか不安ながら新しい友とのワクワクした出会いもあります。その時の印象として、どちらがという訳ではないものの、「別れは悲しくて、新しい出会いは嬉しいもの」と思ってしまうところがあるのではないでしょうか。

私たちは物事を自分から見える一方向でしか捉えることが出来ません。

「人との別れ」という出来事が、そこに「もう会えない」「悲しい」「寂しい」という感情をくっつけてしまうのが、私たち人間です。人はどこまでも自らの思い中心にしか生きていけないし、それが人間の性と言っても良いようです。その結果が、自らの思いで自分自身を苦しめる事につながるのです。それと共に「自分の考えが善で、自分と異なる人の考えは悪」のような勝手な判断をしてしまうのでしょう。

一方向からしか見ていないのに、全部見えていると思ってしまっているのが、私たちの偽ることのできない姿です。仏教ではそれを「我(自分の都合・はからい)にとらわれている」「我執(がしゅう)」と教えています。仏の教えの大事な一つ、専売特許です。

 

太子の言葉

 さて、親鸞聖人が「和国の教主」と讃えられ、日本に仏教を取り入れてくださった方が聖徳太子です。

聖徳太子はお亡くなりになる前「世間虚仮唯仏是信」「世間(せけん)は虚仮(こけ)なり、唯(ただ)(ほとけ)   のみ是()れ真(しん)なり」という言葉を残されています。

「この世にある物事はすべて仮のものであり、仏の教えのみが真実である」 という意味です。

 

私たちの   物の見方は、自らの思いを中心とした一方向からのもので、それがそのまま真実と言えるようなものではありません。

 

真偽二面

例えば、2022年ロシアがウクライナに侵攻しました。私たちは西側の情報、見方でどうしてもウクライナが善、ロシアが悪の印象を持っていますが、ロシアにはロシア独特の考え方があるようで善悪一筋縄とはいけないのがこの世の現実のようです。しっかりと見極めないとなりません。

また「老い」という言葉があります。「老い」にある人は「辛いこと、情けないこと、目を背けたくなるもの」と、負の感情を持ちます。その一方で老いを「人生経験豊かで、物事がよく見え、分かり、人生を色濃く豊かにするもの」と良いイメージをつける方もいらっしゃるでしょう。どちらも「老い」という現象に「私の感情をつけて捉えている」に過ぎず、その感情に振り回されてしまいがちです。

 

諸行無常

仏教は「老い」ということを「諸行無常」つまり、この世のものは絶え間なく変化しているものだと教えています。

「世間は虚仮なり、唯仏のみ是れ真なり」とは、真実と思って見ているつもりでも、実は自分のはからいでしか物事や他者の気持ちを見ることができない私たちだからこそ、仏さまの教えを指針とせよという教えなのです。

 

○普遍の在り方

私たちは、自分の感情、他人の意見に振り回されていると、つい自分を見失いがちです。

そのような中、「普遍の在り方」を教えてくださる仏さまの教えほど、私たちの人生の道しるべとなるものはありません。

 

彼岸会2023

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