あゆみ
1692年(元禄5年) 建立
本願寺より親鸞聖人、蓮如上人、等の御影が下付され河内、太田の地に願立寺が建立された。
元々幅三間奥行七間の道場形式の背の低い本堂があったとされるが、大きな嵐に合い、堂宇が大破したため、何年にもかけた熱心な門徒の懇念が成就し、再建されたと記録されている。
この頃は現在は近くを流れる大和川の付け替え工事(1704-5年)が計画されやがて進められていく時期であり、先祖から受け継いできた田畑を潰されてはならぬという、付替え工事反対の筵旗をあげた村衆の結集の場でもあったとも伝えられている。(柏原文庫記)
1749年(寛延2年) 本堂再建
現在の本堂が大坂の寺院より移築され、再三建される。その後、太鼓楼・山門等が整えられほぼ現況の堂宇が整えられた。
1873年(明治6年) 山門移築
川崎東照宮廃社に伴い、東照宮御成御門を譲り受け山門を再建する。
川崎東照宮は現在の大阪造幣局の辺りにあった徳川家康をを祀った大きな神社で、幕府の取り潰しに伴い廃社となっている。
御成御門は正門の脇にあった一回り小さな門であるが、伝によれば騎乗した武士の兜があたらない高さがあり、末寺の山門としては背が高すぎるという理由で移築時に柱の裾を数尺ほど短縮したという。
丸瓦に葵の御紋が施され往時を偲ぶことができる。
1941年-(昭和16年-) 大戦時
第二次世界大戦時(1941-)戦況の進展に伴い、陸軍大正飛行場(現八尾空港)に駐屯する陸軍の士官の宿舎に本堂が供出され一時期、本来の法務が制限される時期があった。
戦況悪化にともない村周辺は艦載機による機銃掃射や村の中央に小型爆弾が落とされ被害者がでた事も語り継がれている。
本堂前境内西側の小さな築山は当時の防空壕跡である。
1954年(昭和29年) 宗教法人
戦後の新政府、新法制に伴い「宗教法人 願立寺」となる。
1984年(昭和59年) 太鼓楼修復
境内南西角にある太鼓楼で当山の象徴的なお堂。瓦や白壁の傷みが増してきたので、瓦屋根の葺き替え等、修復工事を施す。
2006年(平成18年)本堂平成大修復・親鸞聖人750回御遠忌慶讃法要
長年の星霜に耐えてきた本堂も、傷みが激しくなり一部白蟻被害も確認されたことから、大規模な修復の声があがり数年の検討の上、懇志積立て、寄付等を募り、総代、役員、門徒が一体となって大修復が完工し、宗祖750回御遠忌と共に慶讃法要が厳修された。
修復は、屋根全面葺き替え、主柱を含む柱26本の差替え、傾斜修復、床下固定、耐震壁、耐震基礎を施し、されに内陣全面改修を含む寛延年間以後、願立寺史上初の大規模な修復となった。
2013年(平成25年) 山門の葺き替え工事
阪神淡路大震災時、当寺は震度5弱の地震に見舞われたが、建物の倒壊等の大被害は免れた。ただ、壁のひび割れや灯籠の一部落下があり、山門の屋根瓦屋根に緩みが発生し、瓦が次第に下がって隙間が出た為、全面新瓦で葺き替え工事を実施した。