衆生とともに
2023.8.15|法話・感話
タカサゴフヨウ(高砂芙蓉)
ヤノネボンテンカ(矢の根梵天花)
アオイ科 バボニア属、南米原産 H50cm~200cm 、花期7月~10月 、常緑低木
衆生とともに
真宗の法話があるときにお話しのまえに唱和するのが「三帰依文」です。その中で三回「まさに願わくは衆生とともに」とあります。この「ともに」が大乗仏教のテーマなのです。「大乗」とは自分の力では到底さとりの世界に行けない者のために、仏さまは用意してくださった「大きな乗り物」ということです。
私たちは自分の力で往生することが出来ないので、仏さまが用意してくださった乗り物に乗せてお浄土に連れて行っていただく。
この「大乗」という大きな乗り物は一人乗りではないということであって、「ともに救われる」ということです。ですから、「ともに」ということがテーマの仏教が大乗仏教であるということです。
「ともに」に大事なことが二つあります。一つは選別・差別・排除をしないということです。「弥陀の本願には老少善悪のひとを選ばれず」という歎異抄の言葉は今まで何度も聞かれた事があるかと思いますが、とにかく「分けない」のです。都合が良いとか悪いとか、どっちが得か損かとか、そういう事で選ばないのです。つまり、条件を満たした人だけが救われると、そういうことではないのです。
もう一つは同じことのようですが、「本当の平等」ということです。我々は、どうしてもすぐどっちが上か下か、優か劣か、主か従かということが気になってしょうがない。いつも赤本のお勤めで唱和する御和讃でいえば「平等覚に帰命せよ」ということです。
人間は類人猿の仲間から何百万年もかけて進化し北京原人やネアンデルタール人とか色々進化して現代のヒトになったと言われていますが、そんな中で、実は一番強いのが生き残ったのではないのです。あるいは大脳が一番大きい、一番賢いのが生き残ったのではないというのです。そうでなく、弱い人を見捨てず、「ともに生き残ろう」としたグループが生き残ったのです。我々、このホモサピエンスという種だけがこの現代まで生き残ったのは、強かっただけ、賢かっただけでなく「ともに」を一番大事にしたからなのです。
そういうことが少しずつ分かってきました。ですからケアが必要な人や病気になった人が捨てられることをしなかった。怪我や病気や老化によって狩りすることが出来なくなった、農作業もできない、家の家事も出来なくなった、その人を皆で一緒に支えて、一緒に生きて行こうではないかと。これができなくなれば人間ではなくなるのです。 同朋大会・真城義麿師法話より