法話・感話

便利でスマートな生活 (寺報24-5より)
2024.4.15|法話・感話

便利でスマートな生活

近くのスーパーやコンビニに行けばたいていの食料や生活用品は手にはいる。最近はレジまでスマホで現金を数える事が無くなった。欲しい図書を始め様々な用品はアマゾンで指一本で翌日には玄関まで届けられる便利な時代になった。ところが、気がつけば街から小さな商店や本屋さんなどがなくなってしまった。本当にこれでいいのだろうか。

物に恵まれ、便利でスマートで効率的な生活は、快適であるにちがいない。ある意味では、便利であるということは、人と人との面倒な関わり合いを少なくし、他人に頭を下げないで済むということでもある。しかし、居ながらにして物を手に入れ、ボタンひとつ、カード一枚で処理できるスマートな生活は時として物事のプロセス、そして人間の姿や他人の涙や苦労を見えなくするし、また感動する心すら奪い去っていくように思われる。しかしながら、人は目先の感動を求め目先の喜びに酔いしれる。

もしかすると、便利でスマートな生活が生み出す「当たり前」の心こそ、不信と猜疑の心が渦巻く孤独への切符かもしれない。そして、諸行無常の娑婆を堂々と生き抜く力を弱めているのかも知れない。(出典参考:いのちのことばⅡ)


北町Nさん宅の花壇

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