法話・感話

ゆずり葉の詩
2021.5.9|法話・感話

ゆずり葉   河井酔茗

 

子供たちよ。

これはゆずり葉の木です。

このゆずり葉は 新しい葉が出来ると入り代わって

古い葉が落ちてしまうのです。

 

こんなに厚い葉 こんなに大きい葉でも

新しい葉が出来ると無造作に落ちる

新しい葉にいのちをゆずって――。

 

子供たちよ

お前たちは何をほしがらないでも

すべてのものがお前たちにゆずられるのです

太陽のめぐるかぎり ゆずられるものは絶えません。

 

かがやける大都会も

そっくりお前たちがゆずり受けるのです。

読みきれないほどの書物も

幸福なる子供たちよ

お前たちの手はまだ小さいけれど――。

 

世のお父さん、お母さんたちは 何一つ持ってゆかない。

みんなお前たちにゆずってゆくために

いのちあるもの、よいもの、美しいものを、

一生懸命に造っています。

 

今、お前たちは気が付かないけれど

ひとりでにいのちは延びる。

鳥のようにうたい、花のように笑っている間に 気が付いてきます。

 

そしたら子供たちよ。

もう一度ゆずり葉の木の下に立って

ゆずり葉を見るときが来るでしょう。

 

********

 

療養中の高齢になられた先輩から手紙をいただきました。

その中にこの詩「ゆずりは」河井醉茗、が紹介されていました。

はっとしました。

 

この詩は住職が小学校で子ども達を過ごしていたときに、教材として扱った記憶が甦ったのです。

ただ、情け無いことに詩のことはすっかり忘れていました。確か六年生の卒業を前にした頃の

国語の題材でした。黒板に書いて段落を区切り、ことばの意味を解き・・・子ども達から感想を

聞き・・卒業を感動的に向かえるには・・なんて授業成立に懸命に取り組んでいたことだったのか

と思います。

 

今改めてこの詩を読んでみると、非常に感じるところがあります。

人生、歳を重ねてやっとという想いでした。

 

現代を生きる大人に、「大切なものを作り、すべて譲っていく」という心を持って暮らしている人

がどれだけいるのでしょうか。もちろん私も含め。

 

科学万能、便利さの追求は決して間違ってはいません。世の中をきれいに清潔にし生活し易く

しました。しかし、もしも行き着くところが、お金がすべて、勝ったものがすべてと言うような

世の中を後に残すなら、大変な間違いを犯しているのではないか、そんな気がするのです。

 

美しいもの、素晴らしいもの、お金に変えられないかけがえのないもの、本当に大切なものを

後世に伝えていくことを。

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