法話・感話

木守り柿
2019.11.10|法話・感話

車で一時間ほど走った山里によく星の写真を撮りに行きます。大阪の光害からのがれると

夜空が真っ暗になって、暗い星や天の川などもくっきりと見えるからです。いつも行かせて

もらうあたりは自然がいっぱい残っていて、秋も深まると段々畑と山々の紅葉が見事です。

 

ある時、片付けをしていると在所のお婆さんが野菜や柿を持ってきてくれたのです。

色良い柿を割ってその場でいただくととても甘く美味しい柿でした。

お婆さんはもいだ後に残った中から、特別おいしそうなのをくださったのでした。

柿もぎを終えたあと、「イノシシが畑を荒らして困る事やら、お猿さんも走るんでびっくり

や」などと、世間話をしていたのですが、柿の木の頂上に真っ赤な実が二つ三つ残っている

のに気がついたのです。

お婆さんは「あれは、木守り(きもり)とゆうてね、来年もよく実りますようにとお願い

をするおまじないや、木の高いところにいくつか、柿の実を残しておくんや」と。

なるほど、何とゆかしい習慣だろうと感心していると、ニコニコしながらお婆さんの

言葉が続きました。

「それとやな、何もかもわてら人間さまが食ってしまわんで、これから食べ物が少のう

なるやろ、寒い冬にしんどいめをするんやろうから、あの鳥やら生き物にちょっとでも

残しとかなあかんなというせめてもの気持ちやねん。」 「食べたあと、遠くへ種を運んで

くれるかもしれんしな。」「お互い様のおつきあいや」

 

この言葉にはハッとされました。小さな野鳥たちのことまで気づかう心、まさに仏様の

慈悲の心です。人と自然の共存共栄、おつきあいを守り続けようとする昔からの習慣に、

私たち現代人はもっともっと学ぶべきなんだと思います。

 

いま私たちは、自然を痛めつけるだけ痛めて生きています。マグロやウナギをはじめ

食物となる自然は取れるだけ取ってしまい、あげく、希少価値になって値段が高く

なってかえって困っているのです。

 

この地球に生きる人間以外の動植物へ、どれほどの思いやりを私たち人間は持って

いるのでしょうか。 私たちのまわりに自然を破壊する人々がいることは見えるのですが、

残念ながら気がつけば自分自身 もその一人になっていることに気づかなければなりません。

 

このお婆さんのように自然の恵みに感謝し、小さな鳥の命を心配する人もちゃんとおられ、

私たちに教えていただけることが仏法相続、そのものではないかと思います。

 

どんな姿が人間らしい生き方なのか。

木守り柿とお婆さんに教えられた一日でした。

 

 

 

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