法話・感話

クルーズ客船と新型肺炎に思う
2020.2.14|法話・感話

画像:ダイヤモンド プリンセスHPより

 

中国の武漢から発生されたとされる「新型肺炎」の脅威が連日に渡って報道されています。

この感染症の発症は昨年末のようですが、年明けから感染者や重症者、深刻な死亡例も

日に日にマスコミで報道されて、日本国内にも増加し今春になって感染が爆発的に拡大

しないかと心配されています。

 

 特にクルーズ船での感染拡大と船内での隔離状況も伝えられて、多数への感染拡大を

止めるための、少数の感染グループの犠牲についてはやむを得ない事かと思いつつ

複雑な思いになります。

 

 豪華クルーズ船の旅は、きっと優雅なものなのでしょう。煌びやかな船内装飾のなか

豪華な食事、飽きさせない映画やショーの数々、カジノでの娯楽や屋上プールなども

紹介されていました。ところが、ひとりの感染者の出現で一瞬にして環境が暗転しました。

乗客の老夫人が電話インタビューに答えておられました。

 

「まるで刑務所」「天国から地獄になりました。」「辛いです。」という言葉。

 

この言葉を聞いて状況や規模は違いますが、かつての豪華客船タイタニック沈没の

大惨事をも連想してしまいました。

 

 私たちは近代科学文明の恩恵を、否応無しに無意識に受けています。ただ、忘れては

いけない事があるようです。大地震や大水害、津波や巨大台風等々で、文化的な生活が

一瞬にして無くなってしまうことに私たちは気づきはじめているはずです。

 

 人は幸福を追い求めます。豊かさ、快適さ、利便さ、もっともっと、さらにさらにと

いう人間の知恵による行いのツケがここに来て、少しずつ回ってきていると見るべきでは

ありませんか。

 

 親鸞さんは「末燈鈔」という書物に「自然法爾」(じねんほうに)という言葉で述べられて

います。

 

「自然(じねん)というは、自はおのずからという。行者のはからいにあらず、しからしむと

いうことばなり。然というはしからしむということば、行者のはからいにあらず、

如来のちかいにてあるがゆえに。」と。

 

 行者は私たちのこと、「はからい」は人間の分別や計算、企てのこと。人知には自ずから

限界があるということでしょう。本来、なるようにしかならないことを、私たち人間の

勝手で改造したり、分別で変えてしまうことは自然のことわりに反していることなんだと

いう事なのでしょう。

 

本当の幸福とは・・・

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