法話・感話

ほうき星の出現に想う

夕空に見えているネオワイズ彗星

 

古来、ほうき星の出現は流星雨や皆既日食などと同じように、自然災害や疫病、戦争、

王の死や国の滅亡といった出来事を予言する凶兆現象としてとらえられてきたこと

もあると記録に残っています。

「彗星のように現れ彗星のように去っていく」などの言葉があるように平生の星の

動きとか惑星、月の定まった現象と違って、音もなく天空に現れ神秘的な輝きのなか

長い尾をひき、やがて消えてなくなる現象は、まだ科学の未発達の時代に上記のよう

な凶兆を予言する現象とみられても不自然ではなかったのです。

 

今、ネオワイズ彗星が現れて同様に世間の凶兆を眺めてみると、なるほど確かに

あるわあるわというところです。新型コロナ禍で世の中は激変、志村けんさんが

急死されると雰囲気が一気に緊張し、世の中は長期の自粛に入って経済がどんどん

疲弊、たくさんの店、会社が倒産。少し好転し始めたころに梅雨の集中豪雨、

「線状降水帯」という気象用語が飛び交い、九州をはじめ多くの街が水害のドロの

海に浸かってしまいました。「泣きっ面にハチ」とはこのことです。

 

冷静によく考えてみましょう。科学がこれだけ進んだこの時代にこれをネオワイズ

彗星のせいにするほど我々は愚かでないはずです。でもどこかであれのせい、これ

のせい、挙句はてには彗星のせいにしている私たちがいるような気がします。

自分の都合の悪いことはつい人のせい、あいつのせい、コロナも大雨洪水も彗星の

せいにしていませんか。「分かっちゃいるけどやめられねー」仏法の大きなテーマ

です。

 

集中豪雨はこのところ毎年どこかで起こっています。「50年に一度の災害」「命を

守る行動を」と度々報道されますが、考えてみれば全国に50箇所もあればどこかで

毎年起こっていることになります。大津波、大地震、巨大台風、火山噴火、・・・

結局、大きな彗星が23年ぶりにあらわれたから災害が起こったのではなく、世の中

はいつも災害や戦争が起こっていたということですよね。

 

自然災害、日本列島では当たり前のことだった。人の気持ちとして「何かのせいに

しておきたい」悪者をつくると安心する精神構造という単純な事でした。

災害が多い分、日本列島には春夏秋冬の鮮やかな四季があり温暖で過ごしやすく、

美しい水のながれる川があります。火山が列島に繋がり、たまに噴火して怖い思い

もしますがおかげで風光明媚、身体を癒やす温泉が豊富です。

 

人間に都合の悪いことだけでせっかく5000年ぶりに帰ってきた彗星を悪者にしては

これほど可哀想な事はないのです。

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